わん句・日めくり犬の句・犬と俳句

2007/10/31

棉の実の爆ぜる日仔犬貰はるる

10/31    細川和子

先日、北海道・羅臼(らうす)から、ヒグマなどの大型獣を相手に、紀州犬と猟をしている方が、「仔犬」を求めて、私の知人宅を訪問された。現在の愛犬が11歳で猟を引退することもあり、新たに「仔犬」を育てたいという。ころげ回る4頭の「仔犬」の中でも、最も太って元気なオスが、後日、羅臼に渡ることに。「棉の実」は、アオイ科ワタ属の植物の総称。夏、花が咲いたあとに桃のかたちに似た実となり、それが熟すと実が弾ける。「棉の実」が「爆ぜる」と、中から白い棉が噴き出す。

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2007/10/30

露葎繊き赤犬を女王とし

10/30    石田波郷

」とは、もともと、からみあって伸びる草のこと。野原や空き地など、繁って地面を覆う。茎には小さな刺があり、衣服などにつくと煩わしい。夏の間は、荒れた風情の「葎」が、「露」に輝いている。濡れた「露葎」に守られるかのように「赤犬」がすっくと佇んでいる。細くしなやかな「赤犬」は、「女王」と呼ばれるにふさわしい美しさと品位を兼ね備えているかのよう。「赤犬を女王とし」という詠み方は、ディズニー映画の主人公のような、ドラマチックな展開を期待させる。

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2007/10/29

残菊に犬も淋しき顔をする

10/29     殿村菟絲子

晩秋になっても、庭の隅などに、色合いが薄れながらも、まだ咲いている菊の花がある。菊は、咲き残ったり、枯れ始めたりしたものにも味わいがある。これを「残る菊」「残菊」という。とくに「ざんぎく」という呼称は、いかにも時期を外したという感じで、音からして哀しく響く。こうした、菊を見る人の心のありようを察したのか、「犬も淋しき顔をする」。同じ作者の「鶺鴒や巻尾の犬が路にゐる」は、まっすぐ伸びた「鶺鴒(せきれい・秋の季語)」の尾と「巻尾の犬」の対比が面白い。

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2007/10/28

木の実添へ犬の埋葬木に化れと

10/28   西東三鬼

川上犬という、長野県川上村の名が付いた、柴犬によく似た日本犬がいる。愛犬・龍と、その故郷・川上村に移住された方から、龍が亡くなったとき、栗や椎などの「木の実」をたくさん持たせてやりました、というお話をうかがったことを思い出した。紅葉した葉もたくさん詰めて、山に「埋葬」したそうだ。また、ある方は、黒いラブラドールのダンをヒマラヤ杉の根本に葬った。「遠くから見てもダンの木とわかるから」と。生れ変わって「木に化れ」という願いも込められているに違いない。

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2007/10/27

返事する犬ゐし小さき葉鶏頭

10/27     三角千栄子

目がさめるような「葉鶏頭」は、熱帯アジア原産。上部の葉が紅、黄、緑など、あざやかに発色する。なかでも燃えるような紅い「葉鶏頭」が印象的。古名は「かまつか」。漢名の「雁来紅(がんらいこう)」は、渡り鳥の雁(かり)が来るころ葉が紅くなることに由来。人の背丈をしのぐほど高くなるものもあるが、最近は、小さく密生した園芸種の「葉鶏頭」が、晩夏から秋にかけて、長い間咲いているのをよく見かける。「飼い犬と会話する子や秋深し  菖蒲満寿江(しょうぶみつえ)」も。

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2007/10/26

犬にのみ許す心や秋時雨

10/26     草間時彦

「犬にのみ許す心や」とは、なんと大胆な。「犬のみに許す心」、私にも思いあたるものがある。そんなことを言うと、よほど人間嫌いで、他人には決して心を開かない、変人のように思われそうだけれど。人間ではない、最も身近な生き物である「犬にのみ許す心」というものが、たしかに私にもある。「時雨」は、さっと降ってまもなく上がったり、日が当たりながら降っていたり、ときには、しばらく降り続くなど、趣が深い。たんに「時雨」といえば冬になるが、晩秋にもよく降る。

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2007/10/25

鹿火屋守太郎と呼ぶは犬なりし

10/25    宝田麦青

自然破壊などによって食物が減り、人里に下りた獣が農家に被害を与えることが多くなっている。「鹿火屋守」は、鹿や猪などが田畑を荒らすのを防ぐため、一晩中、火を焚き、獣が嫌う臭いをくすぶらせる小屋を守る人のこと。「淋しさに又銅鑼うつや鹿火屋守  原石鼎(はら・せきてい)」は、銅鑼(どら)を打って獣を追い払おうとしている。遠く響くその音に、「鹿火屋守」の孤独と秋が深まる。前出の「鹿火屋守」はひとりではない。「太郎」と「呼ぶ」犬と番をしている。「鹿火屋」の火や音は、動物と共生するため、目に見えない境界を静かに示し続けている気がする。

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2007/10/24

預りし犬返す朝木の実降る

10/24     佐々木 暢

友人が旅行中、その愛犬を預っていたのだろう。今朝は、飼い主に「返す」約束になっている。ひとつ屋根の下で寝食をともにして、すっかりなれている犬。無事、飼い主に渡すことができると安堵する反面、なんとなく手ばなすのがさみしい、そんな気もする。「木の実」とは、秋に熟する「木の実」の総称。団栗(どんぐり)の名で呼ばれるくぬぎ、椎(しい)、栃(とち)、胡桃(くるみ)など、さまざまな実が秋を彩り、地に落ちる。「預りし犬返す朝」という場面と「木の実降る」が響き合う。

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2007/10/23

木犀の香や純白の犬二匹

10/23     高野素十

あたりに漂う甘い香り。ふと見上げると、葉のわきに小花が密集して咲いている。風にただよう「木犀」の香りに触発され、遠い記憶がよみがえる。金色の花をつける金「木犀」と白色の花をつける銀「木犀」がある。私の実家には、樹齢20年を超える金「木犀」の木が2本ある。私の背丈くらいだったが、今では4メートルくらいの高さに繁っている。橙色の花は、星のまたたきのような明るさとあたたかさを持つ。その一方で、黄昏(たそがれ)どきを思わせる、ほの暗さも感じさせる。

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2007/10/22

籾殻火犬近寄りて見てゐたり

10/22     山口波津女

今では、回転式の大型機を使用するため、素朴な稲扱(こ)き風景は見られなくなったが、昔は、刈ってよく干した稲を扱いで「籾」にした。扱きおとしたばかりの米を「籾」という。この「籾」を玄米にするため、十分に乾燥してから籾摺(すり)をして、「籾殼」といわれる外側の堅いからを取り除く。その「籾殻」を集めて焼いている「籾殻火」に「近寄り」、じっと炎を見つめる犬。いつも農作業をしている傍らにいる、好奇心豊かな、人なつこい犬なのだろう。

波津女は、山口誓子夫人。

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2007/10/21

犬がみて穴のようなる窓に白菊

10/21  阿部完市

「穴のようなる窓に白菊」から、私は思わず柩を思い描いた。びっしりと「白菊」で埋め尽くされた柩を覗くための「穴のようなる窓」。その傍らに坐っている犬。柩の中に横たわっているのは、犬の飼い主であるとすると、その犬はどのような想いでそこにいるのだろう。言葉を話せないだけに、その胸中を考えるとせつなくなる。ふと、飼い主亡きあとも、渋谷駅の駅頭でその帰りを待ち続けたハチ公のことを思った。犬の句ではないが、同じ作者に、「大名のごとき白菊家にあり」がある。

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2007/10/20

呆け犬ほうけ芒とほうけ我れ

10/20     脇山夜詩夫

「呆け・ほうけ」のリフレインから、銀色に輝きながら、風になびく「芒」の風情があらわされている。作者は、長いあいだ入院生活を送り、病床で俳句をつくって投稿されていたという。そのような自分への自嘲をこめてか、最後に「ほうけ我れ」と表現している。どこか自在の境地を思わせて、ユーモラスでもある。秋を象徴する「芒」は、イネ科の多年草。各地の河原や草原、荒地など、日当りのよいところに群がって生える。薄、尾花とも。夕日や月明りの中の芒など、それぞれ趣がある。

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2007/10/19

鰯引くたかぶり犬も汐まみれ

10/19    木谷島夫

私は学生の頃、千葉県・九十九里浜で地引網を体験したことがあるが、これは、鰯漁にわく漁村の風景であろうか。村人が総出で、力を合わせて網を引いている。その「たかぶり」に興奮したのか、犬が浜辺を「汐まみれ」になって駆け回っている。「ここ掘れ、わんわん」ではないが、「大漁だ」とふれ回るかのように、吠え声も上げているかもしれない。犬も人も心をひとつにしたような、浜全体の熱気が伝わってくる。鰯引(いわしひき)は、秋から冬にかけてが漁期。たいてい地引網をさす。

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2007/10/18

夜もれと小萩のもとに埋めにけり

10/18  夏目漱石

「犬の死を傷む」という前書きがある。「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」も漱石の句。愛犬の亡骸(なきがら)を淋しくないように「秋風」が聞こえない、あたたかい地中深く「埋め」てやったという。『吾輩は猫である』の漱石と猫は、特別の間柄のようだが、「(父・漱石は)猫よりも犬の方が、余程好きであった」(夏目伸六『猫の墓』)正岡子規は、「こほろぎや犬を埋めし庭の隅」と詠んでいる。故・中野孝次さんのご自宅にお邪魔したとき、『ハラスのいた日々』のハラスの墓を拝見した。ハラスは13年間、ご夫妻の最愛のパートナー、人生の伴侶として生きたのだった。

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2007/10/17

眠さうで眠れぬ犬や十三夜

10/17     佐藤良重

体は疲れ切っているはずなのに、頭や目は冴えてしまって、眠りたいのになかなか眠れない。そんなときがたまにあるが、犬にだってある。ごろんと横になってみたり、何度もあくびをしたり、先ほどから眠たそうなのに、なぜか眠れない。「十三夜」のお月見をするため、久しぶりに家族が揃った。みんなどこか浮き足たっているようで、いつもとは様子が異なる。そんな家族の気持ちに犬は敏感だ。日中みんなの相手をして疲れているのに、気持ちは昂ぶって、なかなか眠れずにいる。

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2007/10/16

少年が犬に笛聴かせをる月夜

10/16     富田木歩

「少年」「犬」「笛」「月夜」。それだけで、童話の一場面のような、メルヘンチックな情景が思い浮かぶ。木歩は、明治30年、東京本所区(現墨田区)向島生まれ。本名・一。2歳のとき、病により歩行不能に。木歩の俳号は、歩きたい一念で自ら作った義足に由来。貧困のため、本人の強い希望にもかかわらず、小学校教育を受けられず、「いろはがるた」「軍人めんこ」などで文字を覚えた。喀血し、病臥の身となりながら句作に励んだが、関東大震災の猛火に包まれて夭折。27歳だった。

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2007/10/15

犬の尾に冷たき土間の十三夜

10/15     横山万兆

今日は「十三夜」。「十三夜」は、陰暦九月十三夜の月のこと。この日は、八月十五夜の名月から、1ヵ月後の月であることから「後(のち)の月」、十五夜の芋名月に対して栗名月ともいう。少し欠けた「十三夜」に、もう一度お月見をする。この頃は、名月のときに比べて寒く、あたりの風物も、どこかものさびしく感じられる。「土間」に寝そべっている「犬の尾」が、なんとなく心もとなく、冷え冷えと感じられるのも、「十三夜」だからであろう。

「抱き上ぐる老犬重し十三夜  吉田悦花」。

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2007/10/14

セントバーナードゐて岩茸を干せる家

10/14    飯島晴子

「岩茸」はイワタケ科に属する灰褐色に広がる植物。古くから食用とされ、中国では長寿の薬となる高級食材とされてきた。限られた地域しか採れないため、珍重されている。「セントバーナード」は、もともと、スイスとイタリアの国境の難所に建てられた巡礼宿泊所(僧院)の犬として、遭難救助活動に従事、たくさんの人間の命を救った。「岩茸」を干している「家」に、威風堂々とした「セントバーナード」がいる、という意外性。しかし、どこか通じ合うものがあるような気がする。

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2007/10/13

引越しの犬捨てられし曼珠沙華

10/13     伊藤 航

飼い主に「捨てられ」保健所に持ち込まれる犬猫は、年間80万頭にも上るといわれる。「引越し」や世話が面倒など、飼い主の勝手な都合による飼育放棄が全8割、2割は通報などで捕獲された迷い犬だ。保健所に持ち込まれた犬猫は即日、迷い犬でも3~7日後には殺処分される。紛失物でさえ6カ月間保管されるというのに、かけがえのない命が、まるでゴミのように処分されていく現実。ほんとうに責められるべきは、無責任な人間であろう。真紅の「曼珠沙華」は、彼岸花(ひがんばな)とも。

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2007/10/12

秋の庭犬去り猫来また犬来る

10/12     富安風生

「秋の庭」にいた犬が去ったかと思ったら、

どこからともなく猫がやって来た。

そして再び、先ほどの犬が姿を現した。

「秋の庭」は、本来、飼い犬のテリトリーだとすると、

猫は通りすがりというか、野良猫かもしれない。

猫は犬のテリトリーへの侵入者、ということになる。

だから、両者は決して同時に存在することはない。

犬がいなくなった刹那を狙っていたかのように、

猫が現れ、犬が戻ったら、猫はまた姿を消してしまう。

そのような様子が、

「犬去り猫来また犬来る」からうかがえる。

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2007/10/11

顔抱いて犬が寝てをり菊の宿

10/11   高浜虚子

顔抱いて」というところ、実によく見ているなあ

と感心する。たしかに、前脚で自らの顔を抱え込むようにして

「寝て」いることがよくある。

そのようにして眠ると安心するのかしら。

「菊の宿」という設定も趣がある。

「座敷犬赤き舌出し菊の寺  辻桃子」は、「菊の寺」。

手入れの行き届いた「菊」の鉢が、

いくつも飾られているような「寺」なのだろうか。

なぜか、座布団の上にちょこんと坐っている

小型犬の狆(ちん)を思い出した。

「赤き舌」と咲き誇る「菊」との対比もよい。

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2007/10/10

逆光や犬とボールとねこじやらし

10/10  植村公女

「ねこじやらし」の生えた野に出て、

犬と「ボール」遊びに興じている。

「犬とボールとねこじやらし」が、

「逆光」にひとつの絵のように染まっている。

ねこじやらし」は、

低地の叢などに生えるイネ科の一年草。

夏から秋にかけて、

茎の先に穂のような緑の花が咲く。

狗尾草(えのころぐさ)、

えのこぐさなどといわれる。

えのころとは、犬の子の意だが、

猫にじゃれさせるので

ねこじやらし」ともいわれる。

子供の頃のなつかしい思い出に

つながる草という気がする。

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2007/10/09

犬の貌して犬通る秋の暮

10/9      藤田湘子

「犬の貌して犬通る」なんて、あたりまえのこと、と思われるかもしれない。だが、そのような当然であるはずのことが、こうして俳句として表現されると、「秋の暮」という季語と溶け合って、一つの情緒を醸し出すから不思議。犬は「犬の貌」をしているけれど、その実、とても人間くさくて、ほとんど同化しているんじゃないか、人間以上に思慮深い生き物ではないかしら、という気がしてならない。

「秋の暮」とは、秋の夕暮れのこと。古くから詩歌にうたわれ、親しまれてきた。

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2007/10/08

先立ちゆく犬の巻尾や露峠

10/8      鷲谷七菜子 

寒露は、二十四節気のひとつ。露が冷たく感じられる頃になった。空気も水も澄み渡った「露峠」。颯爽と先導する「犬の巻尾」が、目にも鮮やか。「露寒や乳房ぽちりと犬の胸  秋元不死男(あきもとふじお)」は、「犬の胸」を「乳房ぽちり」とは、いかにもと納得させられる。「露野来しずふ濡の犬愛しけり  内藤吐天(ないとうとうてん)」は、「ずふ濡の犬愛しけり」というストレートな想い。「犬が犬の匂ひの露けき  中塚一碧楼(なかつかいっぺきろう)」も愛しさが伝わる。

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2007/10/07

戦のふかきになれて犬を愛す

10/7     藤木清子

20世紀は、2度におよぶ世界大戦と、その後の東西の冷戦、地域紛争と絶えまなく戦禍が続き、戦争の世紀といわれた。ヒロシマ、ナガサキをはじめ、アウシュビッツに象徴されるような、非戦闘員である無防備の子供や市民までが殺りくの対象にされ、世界の人々に深い傷跡を残した。そして現代も、繁栄の影に泥沼化するイラク戦争や頻発する自爆テロなど、憎悪に染まった時代に生きている私たち。いつのまにか「戦のふかきになれて」しまったのだろうか。「犬を愛す」が胸を打つ。

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2007/10/06

介助犬の首輪のみどり草の絮

10/6      大畠 響

「みどり」の「首輪」を付けた「介助犬」。「介助犬」とは、身体の不自由な方の手助けをするために、特別なトレーニングを積んだ犬。盲導犬が、目の不自由な方の目となって支えるように、介助犬は、歩行が不自由な方の杖代わりとなって、歩行を助ける。自力で立ち上がれない方の起立を助け、物を持ってきたり、ドアを開けたり、身のまわりのさまざまな細かい動きをサポートする。「草の絮」は、イネ科の穂状の花が、綿のようになったもの。風に乗って種子を飛ばす。

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2007/10/05

犬の鎖に瞑り曳かれ子の花野

10/5      赤尾兜子

私も幼い頃、戯れに目をつむって歩を進めてみたことがある。目を閉じただけで、まぶたの裏に別な世界が開けるような気がしてドキドキした。しばらくすると、怖くなって目を開いてしまったけれど。この子は、「犬の鎖に」「曳かれ」ている。犬は、決して強く引っ張ったり、やみくもに駆け出したりしない。そう信頼しているからこそ、犬を頼りに目を閉じて歩いているである。子のいく手には「花野」が広がっている。「知らぬ犬が後ついてくる花野哉  鵜沢四丁」も「花野」の句。

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2007/10/04

淋しい犬の犬らしく尾をふる

10/4          住宅顕信

駆け抜けるように生き、夭折した顕信。若さとはこんな淋しい春なのか」「淋しさと向かい合い今日の箸とる」「寂しさが池に波紋つくっている」「一人にひとつの窓をもち月のある淋しさ」「淋しさきしませて雨あがりのブランコ」「夜が淋しくて誰かが笑いはじめた」といった俳句から、生きているのは辛い、でも自分らしくありたい、だれかそばにいてほしい、といった心情が痛いほど伝わる。「犬らしく」ひたすら「尾をふる」様子に、自分に通ずる境遇を見出しているのであろうか。

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2007/10/03

砂浜に巨き犬をり蛇笏の忌

10/3     白澤弓彦

今日は、蛇笏の忌日。飯田蛇笏といえば、「芋の露連山影を正しうす」や「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」に代表されるように、骨太の句が思い出される。「くろがねの」は、風鈴が秋風に鳴るという、一見そのままのようだが、「くろがね」という鋼質の揺るぎないものが秋風に鳴ったというところに、理屈を超えた余韻がある。砂浜に巨き犬をり」も、どこまでも続く砂浜の一点、「巨き犬」の圧倒的ともいえる存在感が迫る。

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2007/10/02

犬連れて猿・雉子連れず虫の闇

10/2          小原福雄

夜、愛犬と散歩していると、叢(くさむら)から虫の声がする。闇の中から響き渡る虫の音に耳を澄ましていると、なんとなく秋の寂しさを感じる。ふと見ると、愛犬もその場におとなしく佇んでいる。そのようなとき、「犬連れて猿・雉子連れず」というフレーズが浮かんだのであろうか。桃太郎の昔話にもあるように、犬と猿と雉子は、主人に付き添って鬼退治に行った。「猿雉子連れず」、犬とともにひたすら虫の声を聴いている作者の姿を思うと、どこかユーモラスでもある。

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2007/10/01

天の川後脚を抱き犬ねむる

10/1            加藤楸邨

ひときわ星の美しい季節である。先日、取材を兼ねて犬とともに山に入り、テントを張って一晩過ごした。夜空いちめん、大河のような星の瞬き。疲れを知らず長いこと仰いでいた。少し冷え込んできたせいか、いつのまにか「後脚を抱き」からだを丸めて犬が眠っている。この句も目にしたままの姿なのだろうが、「天の川」という季語によって、「天の川」そのものに犬が抱かれて眠っているような、安らかでロマンチックな気分が漂っている。

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2007/09/30

秋の暮犬も先々考える

9/30     エンジン

エンジンさんこと、詩人・作家のねじめ正一さんとは、石寒太さんを宗匠に、窓烏(吉行和子)、衾去(冨士眞奈美)、野ざらし(野末陳平)、不埒(高橋春男)……といった個性あふれるみなさんによる句会で、毎月ご一緒させていただいている。先日の句会で、新しい絵本『さんぽうた』(ぽぷら社)を頂戴した。その中の「いぬ」という詩より。「ぼくがくんくんするのは/きみがすきだからだよ。/きみだって/くんくんしていたじゃないか。/にんげんもいぬもおんなじさ。」

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2007/09/29

秋の暮跳びつく犬の美しき

9/29     佐野青陽人

「秋の暮」は、たんなる夕暮れを指すだけではなく、秋のしみじみとした情緒を表す、日本人ならではの美意識に深く根ざした季語だと思う。「あきのくれ」とつぶやいただけで、なんとなくさびしく、人恋しい気持ちになってしまう。夕闇になるまで、ただひたすら飼い主を待ち焦がれ、ようやくその姿を認めた瞬間、「跳びつく犬」。尾を振って、全身で喜びを表現する姿は、透明な世界が一気に噴出したかのような、突き抜けた明るさがある。

一途に自分に向けられた、無償の行為というか、純粋な気持ちに打たれた作者は、「跳びつく犬の美しき」と詠んだのだろう。

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2007/09/28

犬吠えて月傾きぬ天王寺

9/28     正岡子規

犬が吠えている。夜も更けて、天心にあった月は、いつしか西に傾いている。この「天王寺」とは、谷中の「天王寺」のことであろう。「天王寺」といえば、明治時代の終わりまで、大阪の天王寺村では、蕪(かぶら)の栽培が盛んに行なわれていた。干蕪や粕漬けの製法が考え出され、天王寺蕪は全国に出荷されるようになった。松山にいた子規も天王寺蕪を好み、「この頃は蕪曳()くらん天王寺」と詠んでいる。天王寺村出身の与謝蕪村も蕪を褒め、俳号に「蕪」という字を用いたほど。

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2007/09/27

衰へし犬鶏頭の辺を去らず

9/27      桂 信子

「鶏頭」といえば、赤または白色の小花が密集して、鶏冠状になり、ぼってりとした独特の花のかたちをしている。「鶏頭の十四五本もありぬべし  子規」「一本の鶏頭燃えて戦終る  楸邨」「鶏頭を三尺離れもの思ふ  細見綾子」など、どこか生々しい存在感を数字を詠みこんで端的に表現した句も多い。他の多くの秋の草花を圧倒する、印象鮮やかな色彩の「鶏頭」。それに、まるで生命力すら吸い取られてしまったかのように、そばを離れずにいる犬。「鶏頭」の強い存在感が光る。

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2007/09/26

藪虱顎にも尾にも犬帰る

9/26     鈴木啓郎

「藪虱」は、セリ科の一年草。草虱ともいう。散歩のとき、ふと気づくと「藪虱」が袖や裾などに付いていることがある。よく見ると、胸や肩、襟元にまで付いているので驚く。犬のほうも、「顎にも尾にも」びっしり付着している。「藪虱」の花は夏咲くが、剥ぎ取る煩わしさもあって、実のほうが目立つ。楕円状でとげが密生している実は、衣服や動物の毛に付着して、種子が遠くに運ばれる。あちこちに「藪虱」を付けた犬は、困惑顔の飼い主をよそに、散歩から戻って満足げ。

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2007/09/25

犬小屋に乗り犬が見る秋の山

9/25    守屋明俊

「犬小屋」の上にちょこんと乗っている犬。たしかに、そのジャンプ力があれば、高いところはもちろん、「犬小屋」程度のものに乗るのはたやすいこと。それでどうしているのかというと、「秋の山」を見ているのだという。へぇーである。夏場は、「犬小屋」の下側の土に巣穴のようなものを掘り、そこに腹ばいになりながら懸命に暑さをしのいでいた犬。それが、ようやく涼しい風が吹くようになると、好んで「犬小屋」の上に乗り、あたりを眺めるようになった。さらに、遠く「秋の山」に視線を送っているという。なんだかとても納得するものがありませんか?

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2007/09/24

朝露にぬれたる犬の行く先や

9/24    小沢変哲

さらりと詠まれているが、作者を知ると、「朝露にぬれた」犬の姿に自分の人生を重ね合せたような俳諧味を感じる。変哲という俳号を持つ、俳優の小沢 昭一は、俳優座付属俳優養成所卒業後、舞台、ラジオ、映画、テレビなどの芸能活動の一方、野坂昭如、永六輔らと「中年御三家」を結成。1969年、江國滋らとともに「東京やなぎ句会」を発足。句集『変哲』や俳句に関する著書もある。以前、テレビで「17文字の制約がある俳句は、本音をちょこっと出せる喜びがある」と話されていた。

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2007/09/23

犬猫の墓地の賑はふ秋彼岸

9/23     寺岡捷子

今日は秋分の日。昼と夜の長さがほぼ同じになり、夜長が実感されるようになってくる。私は数年前、各地の愛玩動物のための霊園を取材したガイド本を出版した。そこで驚いたのは、寺院の墓地の隣に、動物霊園も完備され、春や秋のお彼岸はもちろんのこと、毎週日曜日ともなると、たくさんの家族連れが、愛犬や愛猫の供養に訪れ、ともすると人の墓地より賑わっていること。人間と同じように、葬儀・火葬・埋葬が一般的になるとともに、動物霊園の数も増え続けている。

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2007/09/22

蟋蟀の闇を窺ふ犬の耳

9/22     疋田雪子

「蟋蟀」は、ちちろ虫ともいう。私は、子どもの頃、鈴虫を飼育して、りーんりーんと鈴を振るような鳴き声を楽しんでいた。「蟋蟀」と一口にいっても、日本だけでも10数種がいるという。参考まで、虫の鳴き声も聞くことができるウェブサイトで、最も大きいえんまこおろぎの鳴き声に耳を傾けてみた。ころころとなつかしい声。暗闇から淋しげに響くその声を耳にするたび、秋の深まりとともに人恋しい想いにさせられる。感度のよい「犬の耳」には、

どのように聞こえているのだろう?

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2007/09/21

少年のバッグに小犬秋彼岸

9/21    八木林之助

「少年のバッグ」になぜ「小犬」が? どこに行くにも、大好きな犬を連れて出かけるのだろうか。「バッグ」の開いた口から「小犬」がちょこんと顔を覗かせている姿を想像すると、なにか秘密を共有しているようで楽しい。

チワワがブレイクしたとき、渋谷で、ショルダーバッグからチワワを覗かせて闊歩する女性を見かけた。あれは、生き物というよりファッション感覚だった。「秋彼岸」は、秋分を中日とする1週間をいう。「暑さ寒さも彼岸まで」というように、次第に涼しくなる。

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2007/09/20

霧深き犬が尾を振りやめぬかな

9/20 中村草田男

「霧」は秋の季語。霞、霧、靄は、似たような気象現象で見分けがつきにくい。実際に、厳密な区別はないようだ。霞と霧は、もともと春と秋の区別なく用いられていたが、後年、霞は春、「霧」は秋と分けられるようになったという。靄だけは単独では季語となっていない。一面に立ち込める「霧」の中、よく見ると、かたわらの犬が尾を振っている。なにがうれしいのか、いつまでも振り続けている。視界が閉ざされた中、犬と人との信頼感も伝わる。

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2007/09/19

敬老日犬の顎鬚洗ひをり

9/19     イザベル真央

犬も老犬になって、からだの筋力が衰えてくると、それまでできていたオスワリができなくなり、フセのような状態で寝そべっていることが多くなる。すると、顏を床や地べたに付けた姿勢になる。意外とわかりにくいことだが、どうしても「顎」のあたりが汚れがちになる。歳をとっても、いつもきれいに心地よく過ごさせたい。チャッピーちゃんという 

18歳になる愛犬のお世話していた作者は、「顎鬚」まで丁寧に洗っているのだろう

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2007/04/10

桜南風盲導犬のあとずさり

4/10   小梅 順

(さくらはえもうどうけんのあとずさり)

(こうめじゅん)

散歩の途中、この道は行きたくないと嫌がり、犬がじりじりと「あとずさり」することはよくある。でも、「盲導犬」が、なぜ「あとずさり」をしたのだろう? 理知的な「盲導犬」だけに、やや強い南風の中、なにかを察知したのだろう。さまざまな状況が想像される。

春の雲先頭を行く盲動犬 細川和子」も「盲導犬」句。花の下犬の守れる募金箱   佐藤雅代」は、お花見に繰り出した人々へ訴えるように、「募金箱」の前に辛抱強くひたすら座り続ける犬。これも「盲導犬」であろう。

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2007/04/09

繋がれし犬が退屈蝶が飛び

4/9   高浜虚子

(つながれしいぬがたいくつちょうがとび)

(たかはまきょし)

4月8日は、高浜虚子の忌日でもある。椿が好きだったことにちなんで椿寿忌とも。そういえば娘・星野立子の長女は椿という。

虚子の墓がある鎌倉・寿福寺を私は何度か訪ねているが、毎年この日に法要と句会が行われているそうだ。

掲句は、「春風や闘志いだきて丘に立つ」という虚子句の対極にある気がする。『なんて「退屈」なんだろう。おまけに「蝶が」飛んでるし』と、「繋がれ」た犬のボヤキが聞こえてきそう。「犬が」「蝶が」という「が」の繰り返しも効果的。

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2007/04/08

眉描いて来し白犬や仏生会

4/8       川端茅舎

(まゆかいてきししろいぬやぶっしょうえ)

(かわばたぼうしゃ)

48日は、釈尊の誕生日。その降誕を祝って各寺院で行われる仏事を「仏生会」といい、一般に花祭として知られている。

境内に花御堂という、花で美しく飾った小堂を設け、誕生仏を安置して参拝者に甘茶を潅がせる。これは産湯の意で、灌仏会(かんぶつえ)や浴仏会、あるいは降誕会、誕生会、誕生仏、花御堂、花の塔、花亭とも。

仏生会」に姿を現した「白犬」。子供にいたずらされたのだろう、顔に太い「眉」を描かれている。華やかさの中の一抹のあわれさ。

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2007/04/07

迷つてきたまんまの犬で居る

4/7       尾崎放哉

(まよってきたまんまのいぬでいる)

(おざきほうさい)

季語や17音にとらわれない自由律を用いた漂泊の俳人、放哉。1926(大正15)年の今日、結核のため41歳で亡くなった。

本名・秀雄。鳥取市生まれ。東京大学法学部入学後、「ホトトギス」を経て荻原井泉水の「層雲」に投句。卒業後は酒に溺れ、人間不信も強くなった。仕事や家族を捨て、流転の生活をしながら句作を続ける。

その凄絶な死を描いた吉村昭著『海も暮れきる』を読んだ私は、10年以上前、放哉が移り住んだ小豆島の南郷庵を訪ねている。掲句はまさに、放哉そのもの。

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2007/04/06

愛犬の声を電話に就職す

4/6   中原寛也

(あいけんのこえをでんわにしゅうしょくす)

(なかはらかんや)

「就職」が決まった喜びを「電話」で真っ先に家族に知らせた。その「電話」から作者の「愛犬」であるポメラニアンのコロ「声」も聞こえてきた。「就職す」といいきったところに、これから社会へ踏み出す決意と、家族の励ましを受けた昂揚感も伝わる。一方で、ニートやフリーターが増加している。ニートとは職さがしをせず、仕事につくための訓練も受けていない若者たち、フリーターとは正社員ではなく、パートやアルバイトで働き続ける若者たちのこと。

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2007/04/05

ふうはりと花影にある犬の墓

4/5   深野敬子

(ふうわりとはなかげにあるいぬのはか)

(ふかのけいこ)

古来、「花」といえば「桜」を指す。花盛り、花明り、花時、花過ぎ、花の山、花の昼、花朧、花便り、花の宿、花の塵、花冷え、花衣、花人、花篝、花曇など、すべて春の季語。花の雲は桜が爛漫と咲いた景色、花埃は花どきの埃、花吹雪は桜の花弁が散るさまを吹雪に見立てたもの。「花影」は、月の光などによってできる花の影のこと。花の下に「犬の墓」をつくった人、そして墓の主はどのような犬だったのか。「ふうはりと」というやさしい表現から想像が広がる。

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2007/04/04

煎餅をいぬがかむ音花の雨

4/4        星野立子

(せんべいをいぬがかむおとはなのあめ)

(ほしのたつこ)

桜の咲く頃に降る雨だから「花の雨」。雨といっても、花時ならではの華やかさ、艶やかさを彷彿とさせる。「煎餅をいぬがかむ音」とは、笑いを誘われるような、でもちょっとせつない。立子は、高浜虚子の次女。父の提唱した花鳥諷詠、客観写生を基本としながら、なにげない日常や自然を細やかな感性で詠み、女性俳人の先駆的な存在となった。たんぽぽと小声で言ひてみて一人」鞦韆に腰かけて読む手紙かな」さへづりをこぼさじと抱く大樹かな」など。

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2007/04/03

大人ふたり犬いつぴきの花見酒

4/3    折島光江

(おとなふたりいぬいっぴきのはなみざけ)

(おりしまみつえ)

花見酒」は、平安時代は、貴族の間で行われる神聖な宴だった。安土桃山時代には、豊臣秀吉が、究極の花見といわれる醍醐の花見を催した。江戸時代になると、家族や友人など少人数の花見が主流となる。あたたかな陽射しを浴びた満開の桜は、気候の安定とともに豊作の兆しとされた。咲き誇る桜を愛でながらの「花見酒」は、豊かな暮らしの象徴といえよう。大人ふたり犬いつぴき」というきっぱりした表現から、「いっちょまえ」の顔をした犬が浮かぶ。なんとも微笑ましい。

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2007/04/02

犬洗う前を烏が万愚節

4/2     竪阿彌放心

(いぬあらうまえをからすがばんぐせつ)

(たてあみほうしん)

「万愚節」とは、エイプリル・フールの日のこと。四月馬鹿とも。犬を洗っていると、その「前を烏が」横切った。「万愚節」だけに、「烏」に馬鹿にされた気がしないでもない。4月1日は、相手をだましたり、驚かしてもよいとされる。その風習の由来はフランスだとか。嘘をつくのは人間だけではない。言葉を話さない犬や猫だって嘘をつく。うちの犬が突然、足を引きずっているので驚いてそばに寄ったら、こちらの気をひくためだったのだろう。まんまと騙された。それも愉快な思い出だ。

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2007/04/01

春の雷床下に野良犬と仔と

4/1    西東三鬼

(はるのらいゆかしたにのらいぬとこと)

(さいとうさんき)

今日は、三鬼の忌日。「春の雷」は春雷(しゅんらい)ともいい、本格的な春の訪れを告げる、どこか陽気なイメージもある。でも、「春の雷」が起こる前は、いたってのどかな天気だったのに、くぐもった音が聞こえたとたん、あたりは舞台が暗転したかのように大きな変化を遂げる。そのため私は、「春の雷」は春の不安定な天候を象徴している気がする。「春の雷」のもと、「床下に」息をひそめてうずくまる「野良犬」。母犬に寄り添う「仔」犬の様子が伝わる。

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2007/03/31

干潮に犬遊びゐる蘆の角

3/31      富田木歩

(かんちょうにいぬあそびいるあしのつの)

(とみたもっぽ)

蘆の角」は、水辺に群生するイネ科ヨシ属の多年草蘆の新芽のこと。水辺の泥土から、鋭くとがって角のような青い蘆の芽が、つんつん突き出している。蘆牙(あしかび)蘆の芽角組む蘆蘆の錐(きり)ともいう。
 あしかびは、蘆の若芽を指す古語。その由来は『古事記』まで遡る。 天地の初め、世界がまだ大空を漂っていた頃、ウマシアシカビヒコジ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)という神がいた。「葦の角」に象徴される万物の生命力を神格化したのであろう。

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2007/03/30

犬小屋に故人来てゐるさくらどき

3/30   飯島晴子 

(いぬごやにこじんきているさくらどき)

(いいじまはるこ)

「犬小屋に」死者ているような「さくらどき」の静けさ79歳で自ら命を絶ち、すでに七回忌を過ぎた飯島晴子

その評論で、「言葉が言葉になる瞬間が無時間であること」「人間の意識の底の方の形をなさぬ不分明なところから偶然釣り上げられて、意識を通って更に、意識を未知の先の時空までのばす、そういう強力な言葉の出現」に支えられるものが俳句だと述べている。

の老いと向き合ううち、次第に見えない世界へと入り込んでいったのであろうか

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2007/03/29

耳長き犬の顔上げ桜南風

3/29     笠 真木 
(みみながきいぬのかおあげさくらはえ)
(りゅうまき)
「耳長き犬」とは、ミニチュア・ダックスフントのような長く垂れた耳の犬のことであろうか。
うちの犬も垂れ耳だった。こちらへ一心に駆けてくるとき、垂れた耳が、ディズニー・キャラクターの象のダンボみたいに、ひらひらと大きく揺れていたのは実に愛らしかったなあ。
桜南風」は、さくらまじともいい、春の季語。桜前線より先立つ時期に、花を誘い出すかのように吹き出す、やや強い南風。桜の咲く気配を感じとったかのように「顔」を「上げ」る「耳長き犬」が可憐。

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2007/03/28

朧夜にまだら模様の迷ひ犬

3/28       吉川駄郎

(おぼろよにまだらもようのまよいいぬ)

(よしかわだろう)

「まだら模様の迷ひ犬」と「朧夜」の妙。駄郎とは、漫画家の山藤章二さんを宗匠とする駄句駄句会のメンバーである作家吉川潮さんの俳号。

私は、毎月、点々句会でご一緒していた。駄郎さんの鋭いツッコミにひやっとしたり、おなかを抱えて笑ったり。文字どおり抱腹絶倒の句会である。

主な著書に『流行歌・西条八十物語』江戸前の男 春風亭柳朝一代記』(新田次郎文学賞)『江戸っ子だってねえ 浪曲師広沢虎造一代』『浮かれ三亀松』『本牧亭の鳶』がある。

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2007/03/27

春の昼蛇口全開犬洗ふ

3/27    山田淳子

(はるのひるじゃぐちぜんかいいぬあらう)

(やまだじゅんこ)

「春の昼」は、眠気を誘われるような、うららかさが全身を包みこむような春の昼間のこと。春昼(しゅんちゅう)ともいい、音読みも心地よく響く。夏の季語である炎昼の過酷さとは異なり、のどかでゆっくりと時間が流れている。

まさに春爛漫、春風駘蕩といった満ちあふれた中のけだるさを感じる季語。が、この「蛇口全開」という言い切りは、まさに眠気を払うような爽快さにあふれている。あたたかな春の日差しの中、全身をくまなく洗われている犬の気持ちよさそうな表情も浮かぶ。

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2007/03/26

呼べど来ぬ犬に餌を置く春星下

3/26    北野民夫

(よべどこぬいぬにえをおくしゅんせいか)

(きたのたみお)

放れたまま戻ってこない犬の名を呼び続けて、あちこち探し回ったが、とうとう夜になってしまった。腹をすかしているのではないか、心配だ。せめて「餌」を入れた器を置いて待っていよう。

頭上には「春星」。たくさんの一等星がきらめくような冷涼な感じの冬の夜空にくらべて、春のおぼろげな夜空の「春星」の光はやさしい。

中村草田男主宰の「萬緑」に投句していた作者は、みすず書房の社主でもあった。

私は、この出版社の白い装丁の書物が好きで、昔からの愛読書も少なくない。

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2007/03/25

犬猫の目やに親しき朧かな

3/25    三橋敏雄

(いぬねこのめやにしたしきおぼろかな)

(みつはしとしお)

「犬猫」に「目やに」はつきもの。以前はよく、「目やに」を付けたままの「犬猫」をよく見かけたが、最近は、犬も猫も室内飼いされ、「目やに」が出ていたとしても、こまめに拭きとってもらうため、たいてい目許はきれいだ。

「戦争」と題する無季57句を山口誓子に激賞された敏雄は、西東三鬼が在職していた貿易商社に入社、三鬼のただ1人の部下として仕えた。

俳句の授賞式などで、私は、生前の敏雄に何度かお目にかかった。構えるところなく若い人と気さくに交流されていた姿が印象的。

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2007/03/24

春の月見上げ老犬うーと啼く

3/24   窓烏

(はるのつきみあげろうけんうーとなく)

(まどがらす)

薄絹で覆ったように甘くかすんだ「春の月」。やわらかく、あたたかな感じで、朧月、春月ともいう。月の満ち欠けとともに起伏豊かな人()生、母性をも感じる。「うーと啼く」「老犬」もいい。「窓烏」とは、女優の吉行和子さんの俳号。

2年ほど前から、毎月句会でご一緒している。いつもたおやかな窓烏さんの、俳句に対する内に秘めた情熱はすごいものがある。「春の月」は、窓烏さんに似つかわしい季語のような気がする。

「春満月犬の鎖のぬれてをり  小林玲子」は、まんまるに潤んだ「春満月」。

 

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2007/03/23

傾聴の全き小犬草の餅

3/23   大鋸颯人

(けいちょうのまったきこいぬくさのもち)

(おおがさっと)

「傾聴」とは、耳を傾けて熱心に聞くこと。人と対峙するときの基本姿勢でもあり、その大切さはよく知られている。しかし、日ごろ実践できているかというと、なかなか難しい。

人の話にひたすら耳を傾け、相手の言いたいことを捉え、心の声に思いを馳せる。相手を認め、受容する。それができるのは、実は犬なのかもしれない。

いちずに主人を慕う、完全で欠けたところのない愛犬を作者は、「傾聴の全き小犬」と讃えている。蓬がたっぷり入った野趣豊かな「草の餅」の香に安らぎながら。

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2007/03/22

水ぬるむ犬と子供の渡し舟

3/22      吉村公三郎

(みずぬるむいぬとこどものわたしぶね)

(よしむらこうざぶろう)

「渡し舟」に乗る犬と「子供」の表情まで目に浮かぶ映像的な句。と思っていたら、作者は、「安城家の舞踏会」「偽れる盛装」「越前竹人形」「夜の河」など、文芸ものから社会派まで幅広い作品で知られた映画監督。

モンタージュ論など、俳句と映像は通じるところがある。五所平之助もそうだが、俳人としても知られる映画人は少なくない。

ところで、五所監督が亡くなられた1981年って、水原秋桜子、伴淳三郎、芥川比呂志、横溝正史、市川房枝、宮本常一、堀口大学も逝去したのだなぁ。

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2007/03/20

犬降ろす地面そこから草青む

3/20   岡田由季

(いぬおろすじめんそこからくさあおむ)

(おかだゆき)

地中から草の芽が頭をもたげることを下萌(したもえ)、草萌というが、それから少し日が経って、さらにあたたかくなり、草が伸びて色鮮やかな緑を深めていくことを「草青む」という。

小犬か、あるいはまだ歩き始めてまもない仔犬だろうか。抱きかかえている犬の四肢をそっと地面にふれるようにおろした。犬が立った「そこから」ぱぁっと草の青みが増したように見えた。

これから、ひと雨ごとに寒さがやわらぎ、ひと雨ごとに草も育ち、春も深まる。そして犬も育っていくのである。

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2007/03/19

春一番人犬鴉田に出でぬ

3/19   秋澤 猛

(はるいちばんひといぬからすたにいでぬ)

(あきざわたけし)

「春一番」は、立春から春分の日にかけて吹く南風。つまり、321日頃までに日本海に発生した低気圧が、発達しながら通過するときに発生する突風で、嵐を思わせる。

「春一番」が吹き、真っ先に「田」に飛び出したのが、「人犬鴉」だった。「春一番」に続く「人犬鴉田」という、漢字の連なりが、視覚的にもユニーク。

作者は、明治39年、山形県酒田市生まれ(ご健在ならば100歳になられるのかしら)。昭和初期から「ホトトギス」「馬酔木」に投句し、昭和27年、秋元不死男に師事。

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2007/03/18

学園の犬巨いなり卒業す

3/18   横山白虹

(がくえんのいぬおおいなりそつぎょうす) 

(よこやまはくこう)

「学園の犬」の句から、たくさんの生徒たちと青春をともに過ごし、「卒業」を見送った犬の実話を思い出した。

ある高校に迷い込んだ犬は、10年以上にわたり、その生涯のほとんどを学校で過ごした。校内を自由に闇歩し、守衛さんに付き添い、職員会議に出席し、職員名簿にも番犬として記された。その死は学校葬として数千人が集い、校長が弔辞を読んだ。

1頭の犬の存在に、生徒や先生はどんなにか勇気づけられ、励まされたことだろう。「巨いなり」に犬に対する畏敬の念すら感じる。

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2007/03/17

春寒やぶつかり歩く盲犬

3/17      村上鬼城

(はるざむやぶつかりあるくめくらいぬ)

(むらかみきじょう)

たしか教科書に載っていたのを目にして、鮮烈な印象がある。私は昨年、高崎・竜広寺にある鬼城の墓所もお参りした。

この犬のモデルとなったのは、旧鬼城宅近くの福田家のマルという犬だとか。鬼城には、「行く春や親になりたる盲犬」もあり、「闘鶏の眼つぶれて飼はれけり」「冬蜂の死にどころなく歩きけり」など、境涯俳句と呼ばれる。

聴覚を失いながらも高崎区裁判所の司法代書人として働き、10人の子供に恵まれた。「ホトトギス」で活躍し、座右の銘は「心眼」ならぬ「心耳」。

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2007/03/16

いつも居し犬撫でてをり卒業生

3/16      鈴木友寄枝

(いつもいしいぬなでてをりそうぎょうせい)

(すずきゆきえ)

学校の卒業式は、だいたい3月中に行われる。通学路の途中の家で飼われている犬であろうか、そこに「いつも」いる犬を「撫でて」いる。

毎日のように「撫でて」きたが、「卒業生」となって「いつも」とは少し異なる、あらたまった感じがうかがえる。

「卒業生」はもちろん、卒業式、卒園、卒業期、卒業証書、卒業歌、大試験、学年試験、進級試験、卒業試験、入学試験、受験、受験発表、及第、落第、入学、入学式、入学写真、入学児、新入生、一年生、入園、進級、進学、新学期、いずれも春の季語。

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2007/03/15

朝寝して犬に鳴かるる幾たびも

3/15   臼田亜浪

(あさねしていぬになかるるいくたびも)

(うすだあろう)

快い眠りの季節。眠り足りているはずなのに、なぜか眠たい。いつまでもふとんを抜け出せないでいる。

うちの愛犬は、毎朝5時起きだったが、寝たふりをしながら、家人が起き出すのをじっと我慢のコで待ち続けていた。しかし、老年になってからは、その辛抱も続かなくなったのか、散歩に対する執着がより強まったのか、決まった時間に鳴いて散歩を催促した。こちらが狸寝入りを決め込んでいると、いつまでも吠え続ける。

「朝寝」を許してくれない犬をちょっと憎らしく思ったこともある。

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2007/03/14

犬の名を考へてゐる春の風

3/14   八木 健

(いぬのなをかんがえているはるのかぜ)

(やぎたけし)

犬の名を考へる」のは楽しい。

最近は、チョコ、モモ、マロンといった、スイーツを思わせる洋風の食べ物系が多い(そういえば、今日はホワイトデーですね)。

10年ほど前は、タロー、ジョン、ポチ、クロ、コロ、シロ、ラッキー、チビなど、犬としては古典的ともいえる和風の名称が上位を占めていた。でも、呼びやすい二音のカタカナ名の人気は不動といったところか。

作者は、NHKアナウンサーとして39年間勤務し、平成3年から10年間、NHKBS「俳句王国」の司会をつとめた。

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2007/03/13

カートより乗り出す犬や春霙

3/13   小熊 幸

(かーとよりのりだすいぬやはるみぞれ)

(おぐまゆき)

「カート」とは、ペットを運ぶ乳母車のようなキャリー「カート」のことだろうか。

私は、遊園地のゴー「カート」を思い浮かべるうち、子供の頃、よく観ていた米国のギャグアニメ「チキチキマシン猛レース」を思い出した。

怪しい笑い声の犬ケンケンを相棒に、愛車ゼロゼロマシーンでレースに出場するブラック魔王。主人が悪巧みに失敗してビリになるたびに、「シシシシシシ」と笑うケンケンは、とてもユニークで憎めないキャラクターだった。

「春霙」は、雨と雪が同時に混じって降る。

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2007/03/12

石鹸玉仰ぐ小犬の鼻に消ゆ

3/12   岡部六弥太

(しゃぼんだまあおぐこいぬのはなにきゆ)

(おかべろくやた)

ふわふわと七つの彩を光らせて飛ぶ「石鹸玉」を不思議そうに仰いでいる「小犬の鼻」の先で消えてしまった、というメルヘンチックな句。

「石鹸玉」というと、しゃぼんだまとんだ やねまでとんだ  やねまでとんで こわれてきえた」という童謡が有名だ。作詞は「七つの子」「赤い靴」「青い目の人形」「兎のダンス」「証城寺の狸囃子」などを作った野口雨情(うじょう)。

二番の歌詞は、あまり知られていないが、雨情が早世した子を偲んで作ったとされる。せつなく美しい歌である。

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2007/03/11

ブランコの子に帰らうと犬が啼く

3/11   菅原独去

(ぶらんこのこにかえろうといぬがなく)

(すがわらどくきょ)

一年中あるのに、どうして歳時記には特定の季節のものとなっているのか、首を傾げたくなるような季語も少なくない。春でいうと、風車(かざぐるま)、風船、「ブランコ」など。

「ブランコ」は、ふらここ、鞦韆(しゅうせん)、半仙戯(はんせんぎ)とも呼ばれ、もともとは中国の儀礼で女性が乗るものだったとか。

いつまでも飽きることなく「ブランコ」を漕いでいる「子」に、傍らの犬が、もう「帰らうと」啼いた。無機質な揺動式遊具が、いかにも春の雰囲気を醸し出しているから不思議。

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2007/03/10

日本の春はあけぼの犬の糞

3/10        坪内稔典

(にっぽんのはるはあけぼのいぬのふん)

(つぼうちとしのり)

「春はあけぼの」といえば『枕草子』の「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。」を思い出す。

事物を端的に、やや偏執的に表現する『枕草子』の文体は、とても俳句的という気がする。

この有名な冒頭に「日本の」と大上段に構えて、さらには「犬の糞」ときたからには、清少納言も「ぎゃふん」という感じであろうなぁ。

しかし、犬を愛するものにとって、「春はあけぼの」の「犬の糞」は、なんともいえない趣がある。

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2007/03/09

忠犬の剥製耳垂れ牡丹雪

3/9    瀧 勧進帳

(ちゅうけんのはくせいみみたれぼたんゆき)

(たきかんじんちょう)

「忠犬」といえばハチ公。戌年の今年1月、「科博・干支シリーズ 戌」と題して,国立科学博物館で、忠犬ハチ公と南極観測犬ジロの剥製、二ホンオオカミの全身骨格など、犬にまつわる展示が行われた。

秋田犬のハチ公は、片耳が垂れていたことから、雑種と新聞に紹介されたこともあった。しかし実際は、ケガと病気のため耳が垂れたとされている。ハチ公の生前に建てられた渋谷駅前の銅像も、そして剥製も、そのことを忠実に再現している。

ハチ公は70年以上前の3月8日に亡くなった。

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2007/03/08

囀りや犬は地団駄もて応ふ

3/8  平井 浩

(さえずりやいぬはじだんだもてこたう)

(ひらいひろし)

引鶴、鳥帰る、鳥雲に入る、鳥交る、雀の子、鳥の巣、巣立など、鳥に関する春の季語は多い。「囀り」は、繁殖期に小鳥がしきりに囀ること。

地団駄」は、地蹈鞴(じたたら)の音変化で、足で地を何回も踏みつけること。腹を立てたり悔しがったりして、激しく地を踏むことを「地団駄」を踏むとも。

春を謳歌するような「囀り」に向かって、「ワタシもそこ行きたい!」と訴えるように、はばたかんばかりの勢いで足をばたばたさせる作者の愛犬サンちゃん。元気いっぱいでお茶目な姿が目に浮かぶ。

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2007/03/07

犬眠るその犬小舎に春の雨

3/7          吉屋信子

(いぬねむるそのいぬごやにはるのあめ)

(よしやのぶこ)

「春の雨」は、春雨ともいい、冬の雨とは異なるあたたかで優しい雨である。春霖(しゅんりん)は、毎日降り続くものをいい、菜種梅雨(なたねづゆ)は、菜の花の咲く時期に降る長雨をいう。

犬眠る」と少し間をおいて、「その犬小舎に春の雨」という、ゆったりとしたリズムから、「犬小舎」の中で眠っている、目の前に姿の見えない犬を包み込むようなまなざしを感じる。

杉田久女などの俳人を素材にした小説『底のない柄杓』(1964)を書いた信子は、『吉屋信子句集』(74)もある。

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2007/03/06

犬耳を立てて土嗅ぐ啓蟄に

3/6        高浜虚子

(いぬみみをたててつちかぐけいちつに)

(たかはまきょし)

「啓蟄」は、二十四節気のひとつで、雨水から15日目の36日頃に当たる。 「啓」はひらく、「蟄」は土中で冬ごもりしている虫のことで、地中で冬ごもりしていた虫が、地上へ這い出してくる意。穴を出る地虫そのものも指し、地虫穴を出づ、地虫出づ、蟻穴を出づともいう。

春の気配を敏感に察する犬は、「耳を立てて」入念に「土」を嗅いでいる。

北国では福寿草が咲き、東京では蝶も見られるようになって日に日に暖かくなる。でも、スギ花粉もたくさん飛んでいるので、私には要注意の時期。

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2007/03/05

雪解けの空仰ぐ犬抱かれゐし

3/5    イザベル真央

(ゆきどけのそらあおぐいぬだかれいし)

(いざべるまお)

「雪解け」は、「雪解(ゆきげ)」ともいい、春の季語。あたたかくなるにつれて積雪が溶け始め、川に流れ込むと雪解川となる。雪解風、雪解光、雪解雫、雪解野、雪汁とも。

作者は、老衰で歩くことができない愛犬を毛布に包み、近くの公園のベンチに座り、一緒に「雪解けの空」を仰いでいたのであろう。春の訪れを感じさせるきらびやかな光がまぶしく感じられる。

ほっとしたように、その犬は数時間後に18歳数ヶ月の命を終えた、という。

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2007/03/04

像遅日西郷の犬老いにけり

3/4    川崎丈二

(ぞうちじつさいごうのいぬおいにけり)

(かわさきじょうじ)

「西郷」といえば、上野恩賜公園ある西郷隆盛像(高村光雲)。傍らの犬は、「西郷」さんお気に入りの雌犬・ツンだといわれる。

しかし、銅像を制作した時は亡くなっていたため、仁礼景範大という日本帝国海軍中将の雄犬をモデルにして作成されたという。

「遅日」とは、日が永くなってきたことで、暮れ遅しともいう。「老い」るはずのない「西郷」像の犬が「老い」るというのは、常識を超えて面白いし、「遅日」ならではの感覚という気がする。像を見ている作者自身の「老い」も指しているのであろう。

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2007/03/03

雛飾る隣りの犬の小さき伸び

3/3       藤田山頭女

(ひなかざるとなりのいぬのさきのび)

(ふじたさんとうじょ)

雛祭りは、桃の節句とも呼ばれ、女の子の誕生を祝い、健やかで幸せな人生を願う気持ちが込められている。

「雛」を飾っているその「隣り」に座っている犬。ちょっと退屈したのか、「小さき伸び」をした。なんだか、ほほえましい。

古来、草や紙で作った「ひとがた」を自分の身代わりとして川や海に流して災厄を払っていた。これが、宮中の人形遊びと結びつき、雛祭りの原型になったという。雛遊び、雛あられ、雛市、雛壇、雛の宴、雛の客、雛の宿、雛流し、雛納めなど、関連する季語は多い。

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2007/03/02

蒲公英の野に出でて取る犬の蚤

3/2   田川飛旅子

(たんぽぽののにいでてとるいぬののみ)

(たがわひりょし)

「蒲公英」は、春の最もポピュラーな野草。キク科の多年草で、3~5月、日当たりのよい山野につぎつぎに花茎を出し、一面に黄色い花をつける様子は、健康的な明るさと生命力に満ちている。

散歩の途中だろうか、「蒲公英の野」で「犬の蚤」を取っている。幸福な風景である。春が来た喜び、うきうきと弾む心が伝わる。

ヨーロッパ原産の帰化植物の西洋たんぽぽは、在来種より繁殖力が強いため、秋まで咲き続ける。田川飛旅子の本名は博。「寒雷」「風」を経て、「陸」を創刊主宰した。

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2007/03/01

旅人と犬おりてくる春の山

3/1   加藤三七子

(たびびとといぬおりてくるはるのやま)

(かとうみなこ)

Тさんは、フラットコーテッド・レトリバーの愛犬とともに、北海道3000キロをヒッチハイクした体験記を出版されている。脱サラして「今までできなかったことがしたい」と思った時、まっ先に浮かんだのは、愛犬と旅することだったとか。

でも、この「旅人」は、犬連れバックパッカーではなく、山道でたまたま出会った犬に導かれるように山を「おりて」きたのだろう。

枯色が消え、生気あふれる「春の山」を山笑うともいうが、快活な犬の歩みが見えてくる、明るい句。

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2007/02/28

犬の耳臭くなりたり二月尽

2/28      龍岡 晋

(いぬのみみくさくなりたりにがつじん)

(たつおかしん)

とくに垂れ耳の犬は、通気性があまりよくないので、あたたかくなるにつれて、においがこもりやすくなる。

龍岡晋は、俳優、演出家、俳人。 明治37年、東京・日本橋生まれ。文学座に所属し、渋く堅実な演技で、名バイプレーヤーとして舞台や映画などで活躍。

のちに文学座社長として劇団マネジメントをつとめるかたわら、俳句の師でもある久保田万太郎の深い理解者として、その作品の発掘につとめた。『切山椒久保田万太郎作品用語解』という著書もある。

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2007/02/27

犬の目のいつも真剣二月尽

2/27   

折島光江

(いぬのめのいつもしんけんにがつじん)

(おりしまみつえ)

犬って、ほんとうに怖いくらい、「いつも真剣」。「真剣」なまざしでじっと覗き込まれると、思わずたじろいでしまう。例えば、散歩やごはんを待っているとき、頭の中は、それしか考えていないのでは、というくらい集中している。

もちろん、遊ぶときも「真剣」。夢中になり過ぎて、「あっちの世界にいっちゃっているんでは?」と思うほど、「真剣」な目をしているときもある。そのくせ、眠るときは、四肢をのばし、おなかを出して無防備に寝ているんだなあ。

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2007/02/26

春浅し犬が犬みる土手の径

2/26     柴田白葉女

(はるあさしいぬがいぬみるどてのみち)

(しばたはくようじょ)

揚句から、白葉女という俳人が、私の住まいに近い市川市八幡に在住していたことを知った。とすると、この「土手」は、私も愛犬を連れてよく通った江戸川の「土手」であろうか。

川を見下ろす小高い「土手の径」には、さまざまな犬が集まる。そう思うと親近感が湧く。

作者は、明治39年兵庫県生まれ。飯田蛇笏に師事し、「雲母」では高橋淡路女と同期。加藤知世子、殿村兎絲子らと季刊「女性俳句」を創刊。俳句女園」を主宰するなど女性俳人をリードした。

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2007/02/25

梅の陽に仔犬は唾液ごと抱かれ

2/25       長谷川秋子

(うめのひにこいぬはだえきごとだかれ) 

(はせがわあきこ)

まだ「仔犬」なので、口もとの締まりがあまりよくなくて「唾液」を付けているのか。または、うれしさのあまりペロペロと人の顔を舐めまわし、「唾液」が溢れ出ているのか。そして、「唾液」の溢れた舌を出したまま「抱かれ」ているのであろうか。

ともかく、「仔犬は唾液ごと抱かれ」が、溌剌とした「子犬」にふさわしい表現で、印象的。早春の陽射しを受けて「子犬」も「唾液」もきらきら輝いている。

秋子は、大正15年東京生まれ。長谷川かな女に師事。

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2007/02/24

残雪を舐め残雪へ走る犬

2/24       伊藤 航

(ざんせつをなめざんせつにはしるいぬ)

(いとうこう)

まだ、屋根から下ろされた雪がまとまってあったり、家の北側や裏山などの日陰に、消えずにひっそり雪が残っていたりもするが、麓はすっかり春めいている。

放たれた犬は、陽射しにきらめく「残雪を舐め」、休むことなくまた「残雪へ走る」。残雪を舐め残雪へ走る」というリズムに、素早く跳ねるような犬の動きがよく現れている。

どこまでも澄み渡った青空。遠く山の頂に「残雪」が白く輝いている。残る雪、雪残る、雪解(ゆきげ)、雪間(ゆきま)も春の季語。

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2007/02/23

手にはさみ見る犬の貌紅梅咲く

2/23       長谷川かな女

(てにはさみみるいぬのかおこうばいさく)

(はせがわかなじょ)

手にはさみ見る犬の貌」から、大切に愛しく想う気持ちがよく伝わる。さらに「紅梅咲く」から、心の昂ぶり、喜びを感じる。

私はふと、清少納言の『枕草子』の冒頭を思い出した。「昼ほゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。ちご亡くなりたる産屋。人おこさぬ炭櫃、地火炉。博士のうち続き女子生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分などはいとすさまじ」。

「すさまじ」すなわち興ざめなことをこちらは述べている。

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2007/02/22

番犬の律儀に吠ゆる春疾風

2/22       酒井秀穂

(ばんけんのりちぎにほゆるはるはやて)

(さかいひでお)

「番犬」は、勝手気ままに吠えているわけではなく、自らに課せられた務めをきわめて義理堅く、実直に遂行しているのだ。「律儀」の二文字に納得させられる。

春の天気は変わりやすい。とくに2月から3月にかけて烈風が吹く。1日中強い南風が吹きまくり、砂塵を舞い上げ、気温が上昇する。

春は、おだやかな陽気を感じさせる季語が多いが、それだけではなく、「春疾風」、春嵐、春荒れ、春北風のように、不安定な天候を表す、激しいイメージの季語も多い。

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2007/02/21

早春や犬呼ぶごとく鹿呼んで

2/21       中村明子

(そうしゅんやいぬよぶごとくしかよんで)

(なかむらあきこ)

「鹿」は秋の季語になっているが、奈良の春日大社などでは、神の遣いとして1年を通して間近に見ることができる。大きな「鹿」に向かって、愛犬の名を呼ぶようにやさしく声をかけた。

私は、山中で野生の「鹿」に遭遇したことがある。ニホンカモシカは、崖の上からこちらをじっと見つめていた。どちらかというと、警戒心よりも好奇心のほうが強いのかもしれない、と思った。

作者は昭和2年、東京生まれ。「みなとみらいハンカチ二枚使ひ分け」という句も。

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2007/02/20

赤犬を呼ぶ春日の第一声

2/20      細見綾子

(あかいぬをよぶしゅんじつのだいいっせい)

(ほそみあやこ)

自分の名を呼ぶ、弾んだ「春日の第一声」を聴きつけ、どこからともなく姿を現した「赤犬」。明るく元気な1日のはじまりを予感させる。

細見綾子に「チューリップ喜びだけを持つてゐる」という句があるが、「赤犬」はひたすら、「春日の第一声」だけを待っていたのではないか。犬と人の信頼関係が伝わってくる。

同じ作者に「ふだん着でふだんの心桃の花」という句もあるが、あるがままの心で向かい合える対象があるということは、とても素敵だなあ。

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2007/02/19

老犬も吾も涙目花粉症

2/19       天沼良江

(ろうけんもわれもなみだめかふんしょう)

(あまぬまよしえ)

自慢にもならないが、私は「花粉症」歴十数年のベテラン。すでに「花粉症」の症状が顕著で、朝から鼻水やくしゃみに見舞われている。

例年、たいてい私の誕生日である2月26日前後に症状が現れるのだけれど、今年は早い。暖冬の影響がこんなところにも現れているのかしら。

この作者も「花粉症」で「涙目」に悩まされている。「老犬」も「涙目」というのは、「花粉症」とは別の老化に関係しているのかもしれない。それにしても「老犬も吾も涙目」とはお気の毒。

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2007/02/18

犬のあくび真向に見る春の風邪

2/18        河野多希女

(いぬのあくびまむかいにみるはるのかぜ)

(こうのたきじょ)

犬は、人間と同じように眠いときや目覚めたときのほかに、緊張しているときにも「あくび」をする。例えば、イタズラをして叱られたときや馴れない場所に連れていかれたときなど、よく「あくび」を繰り返す。

叱られて「あくび」をしているのは、「ああ、また始まったよ」なんて思っているのではなく、飼い主さんに怒られたことからくる緊張を犬なりにほぐそうと努めているのだ。

「あくびなんかして、ちっとも反省していない!」とますます怒らないように。

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2007/02/17

句仲間に犬・猫派あり水温む

2/17       句仲間に犬・猫派あり水温む

        佐々木暢

(くなかまにいぬねこはありみずぬるむ)

(ささきのん)

寒さがゆるむとともに、川や池の水があたたかく感じられる。俳句をつくる「仲間」の間にも、犬が好きで犬の句をよく詠む私のようなタイプや、猫を飼っていて猫の句をつくることが多いタイプと、たしかに犬派または「猫派」に分かれる気がする。

私は犬派と思われているようだが、基本的には、生き物が好き、自然が好き、なのだけれど。

あたりは春の気配が漂っている。犬派も「猫派」も、のどかな「水温む」季節を一緒に仲良く感受しようではありませんか。

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2007/02/16

夢殿を鎖につなぐ春の犬

2/16        あざ蓉子

(ゆめどのをくさりにつなぐはるのいぬ)

(あざようこ)

「夢殿」に犬の「鎖」を「つなぐ」と読み取ると、犬の飼い主が、犬と「夢殿を鎖につな」いだことになる。

私は、「春の犬」が主体的に「夢殿を鎖につな」いだと受け取った。犬が自分のおもちゃか子分のように「夢殿」を従えているようで面白い。歴史的建造物を「鎖につなぐ」なんて、大それたことだが、「春の犬」でとぼけた味わいが生まれた。

私の句に「早春の夢殿犬の近づけり」がある。揚句は、意味よりも感覚的に味わうべきだろう。句集『ミロの鳥』より。

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犬の名を呼んで青きを踏みにけり

2/15    

大野千恵

(いぬのなをよんであおきをふみにけり)

(おおのちえ)

「青き踏」むは、踏草や踏青ともいい、春の季語。中国の風習が日本に伝えられたもので、早春に野に出て青い草を踏んで遊ぶこと。野遊びとも似ているが、踏むということから、蹠(あなうら)でじかに春を感じているのだろう。

伊豆へ取材に行った折、同行されたカメラマン氏曰く、「この季節、外の撮影は、背景が枯色になってしまうものだけど、暖冬の今年は、ずっと緑が残っている」。たしかに。

「青きを踏」む実感や春を迎える喜びは年々薄れている気がする。

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2007/02/14

バレンタインの日なり遠くで犬が吠え

2/14       

大江まり江

(ばれんたいんのひなりとおくでいぬがほえ)

(おおえまりえ)

「バレンタイン」商戦真っ只中。雑誌の特集にも「バレンタイン」デー用チョコレートのブランド案内が。今では、「バレンタイン」デーは歳時記にも載っている。

毎年の騒ぎ、ちょっと食傷ぎみだなあ。といっても、まったく無視、あるいは卒業なんていう枯れた歳でもありませんし。せっかくだもの、お祭りとして大いに楽しんでしまおう。

というわけで、私はまず、自分へのご褒美として、とっておきのチョコレートをお取り寄せ。今朝、クール便で戴きました。

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2007/02/13

春愁や鳴くこと知らぬ石の犬

2/13    

上村占魚

(しゅんしゅうやなくことしらぬいしのいぬ)

(うえむら せんぎょ)

犬のかたちをした石を掌にのせてじっと見つめているのか、または狛犬のような石像を眺めているのか。「鳴くこと知らぬ」に情感がある。

「占魚」という俳号は、故郷・熊本の球磨川の鮎の字を二つに分けたものらしい。松本たかしや高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。俳誌「みそさざい」創刊。

吉野秀雄、会津八一、斎藤茂吉、川端康成、大佛次郎、草野心平、宮柊二、中川一政、亀井勝一郎などと親交を深めた。平成8年76歳で死去。揚句は句集『石の犬』より。

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2007/02/12

シベリアン・ハスキー犬の余寒顔

2/12       

森景ともね

(しべりあんはすきーけんのよかんがお)

(もりかげともね)

余寒」とは、立春後、寒が明けてもなお残る寒さのことで、春の季語。2月いっぱいは、こうした寒の戻りが何度かあり、本格的に春らしくなるのは、やはりお彼岸を過ぎてからか。

立春を境にして、冬の寒気から春の「余寒」へと微妙な変化が生じる。それを「シベリアン・ハスキー犬の余寒顔」と、「ハスキー犬」の「顔」に集約、断定したのが面白い。

「ハスキー犬」は、南極などでソリ犬として活躍した寒さに強い犬だが、「余寒顔」って、どんな「顔」なのか。

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2007/02/11

おはやうと犬に笑顔や蕗の薹

2/11         

中村 龍

(おはようといぬにえがおやふきのとう)

(なかむらりゅう)

家族や他人に対しても、「おはやう」という朝の一言を口にすることが少なくなってきているのかもしれない。

特に反抗期を迎えた子どもは、親に挨拶をするのは恥ずかしい、うざい、面倒だと、省略または無視を決め込む場合もある。でも、愛犬には、なんのわだかまりもなく「おはやう」といえる。そんなこともあるだろう。

「蕗の薹」の生えている早春の土手。すれ違う犬に「おはやうと笑顔」を向ける、そんなひとときが、とてもかけがえのないものに思える。

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2007/02/10

犬の失踪以後や春めく月そだつ

2/10      下村槐太

(いぬのしっそういごやはるめくつきそだつ)

(しもむらかいた)

散歩中に犬を曳いていた綱が離れ、そのまま「失踪」してしまったという場合が多いようだ。

「犬の失踪以後」、夜な夜な月をながめながら、今頃どこでどうしているだろうかと案じている。「春めく月」が、日ごとに大きく育っていく様子が胸に迫る。

槐太は、本名・太郎。明治43年大阪生まれ、昭和41年死去。「寒菊」「火星」「鞭」などを創刊。句集に『光背』『天涯』がある。代表句「死にたれば人来て大根煮(た)きはじむ」。『下村槐太全句集』も刊行されている。

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2007/02/09

春昼の犬に待たれしビスケット

2/9    

稲垣きくの

(しゅんちゅうのいぬにまたれしびすけっと)

(いながききくの)

おやつの「ビスケット」を前に「待て」をされている犬。大好きな「ビスケット」をじっと待つ犬にとっては、うららかな春の昼がとても長く感じられることだろう。

飼い主のなかには、ちょっと意地悪をして、愛犬の鼻の上に「ビスケット」をのせ、犬が寄り目になりつつも辛抱強く待ち続ける様子を楽しむ人もいる。「よし!」と声をかけられると、器用に鼻の上から「ビスケット」を落とし、パクッと口中に納めてしまう犬も。

「しゅんちゅう」の音読みが心地よい。

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2007/02/07

鶯や見知らぬ犬が庭にゐて

2/7         内藤吐天

(うぐいすやみしらぬいぬがにわにいて)

(ないとうとてん)

よく「梅に鶯」というけれど、あれってほんとうなのかな? いかにも日本的な取り合わせではあるけれど、「鶯」に花の蜜を吸う習性はないらしい。

梅によくくるのは目白。花札の梅に止まっている鳥は、「鶯」説と目白説に分かれているそうだ。

「鶯」の鳴き声がしたと思って、あわてて庭を見た。すると、「見知らぬ犬が庭にゐ」る。自分の家の犬ではなく、「見知らぬ犬」とは。どこから迷い込んできたのか。なんとなくとぼけた感じの句、こういうの好きだなあ。

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2007/02/06

梅の香や犬のボールに飛びつけり

2/6     

笠 真木

(うめのかやいぬのぼーるにとびつけり)

(りゅうまき)

東京は今年、1月18日に梅が咲いたという。平年より11日も早い。なぜ、梅という植物はそんなに早く開花するのだろう。

「梅の香」が漂う中、「ボールに飛びつ」く犬。「ボール」命という犬は少なくない。ふだんはおとなしい犬も、「ボール」を前にすると目の色が変わり、自分のものでもないのに、興奮して向かっていき、1度口にくわえると離さず、独占欲の塊になることも。

なぜ、あれほど「ボール」に反応するのか。やはり、狩猟本能を刺激されるのかな?

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2007/02/05

ヒヤシンス犬聞いてゐしわかるらし

2/5     中村汀女

(ひやしんすいぬきいていしわかるらし)

(なかむらていじょ)

いつも日向で、ぼおーっとしている犬。でも、ぼおーっとしているふりをして、耳だけピクピクさせている。

家族でおしゃべりをしていると、その間にズカズカ割り込んで「ワタシも群れの一員です」という顔をして坐り、じっと聞き耳を立てている。そんな犬は、実は家族で一番の事情通なのかも。

聞いてゐし」だけでなく、「わかるらし」というのが、「オヌシ、ナカナカヤルナ!」という作者の気持ちが伝わる。本当のところは、「ヒヤシンス」だけが知っている?

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2007/02/04

駈けぬけし犬に驚く蕗のたう

2/4     堀口星眠

(かけぬけしいぬにおどろくふきのとう)

(ほりぐちせいみん)

今日は立春。季語は「蕗のたう(蕗の薹)」。早春、雪間に萌葱(もえぎ)色の顔を覗かせる「蕗のたう」。その頭上を「駈けぬけ」ていく「犬に驚く」と擬人化したところが面白い。

すぐ茎が伸びて花が咲くため、食用にするには花が開く前に摘みとって、天麩羅にしたり、味噌汁の実にしたり、ほろ苦い独特の風味を楽しむ。

湯通ししてみじん切りにした「蕗のたう」をすり鉢で擂り、酒・味醂・砂糖を合わせた味噌に混ぜて、ごはんに載せていただくのは絶品。私の好物。

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2007/02/03

狩の犬姿勢正しき朝かな

2/3     

内田玉G

(かりのいぬしせいただしきあしたかな)

(うちだたまじー)

「狩の犬」の「姿勢正しき」とは、狩猟用語の「ポイント」と呼ばれるものであろう。ポイントとは、犬が完全に静止して、ゲーム(獲物)の所在を知らせる姿をいう。犬の猟技の中で最も大切なもの。

よく訓練された「狩の犬」が、キジなどの鳥の匂いを察知した時に行うポイントの「姿勢」は、尾の先までぴんと神経が行きわたっている。緊張感にあふれ、研ぎ澄まされた鋭さ、精悍さが感じられる。

鳥を飛び立たせるタイミングは、日頃の訓練によって鍛えられる。

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2007/02/02

フォークダンスの輪中へ犬よ夕焚火

2/2     楢崎 京

(ふぉーくだんすのわなかへいぬよゆうたきび)

(ならざききょう)

「フォークダンス」は、昔、動物踊り(アニマルダンス)と呼ばれ、狩の収穫を祝って動物の動きを真似て踊ったそうだ。

私は中学生の頃、文化祭の打ち上げで、「焚火」を囲んで「フォークダンス」を踊った。知らない者同士も手と手を取り合って踊ることで、一体感や達成感を得て、いつのまにかうちとけている。生徒会活動で知り合った先輩に寄せる想い。舞い上がる炎のように胸を高鳴らせて。

広がる「輪中へ」ふらふらと犬が迷い込んできた、という目のつけどころがいい。

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2007/02/01

おかしいと犬やふりむく雪礫

2/1         

小林一茶

(おかしいといぬやふりむくゆきつぶて)

(こばやしいっさ)

「雪礫」は、雪合戦のときに用いる雪を握り固めた雪の玉こと。子どもの頃、雪が降ると「雪礫」を投げ合ったり、雪だるまをつくったりした。

「雪礫」を手にすると、思いっきり遠くへ放りたくなる。たまたま見つけた犬に向かって投げたところ、その背に命中したか、あるいは逸れて足元に落ちたか。驚いた犬は、「おかしい」という顔をして「ふりむく」。

まるで漫画を見るような面白さ。作者は小林一茶。あらためて、その句柄のお茶目な感じ、若々しさに感心。

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2007/01/31

雪を行く尾の無き吾と濡れ毛の犬

1/31    林 翔

(ゆきをいくおのなきわれとぬれげのいぬ)

(はやししょう)

私の住まいに近い千葉県市川市は、俳句の街としても知られている。

俳人の水原秋櫻子や富安風生は、昭和初期に市川周辺を詠んだ句を発表している。北原白秋や永井荷風も、当時の市川の様子を伝えている。

秋櫻子を師とする能村登四郎は市川在住で、「沖」を主宰、林翔は「沖」最高顧問をつとめる。昨年亡くなられた詩人の宗左近も市川に長く暮らし、俳句に関する著書もある。

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2007/01/30

よその犬としばらく遊ぶ探梅行

1/30    

中西蘭子

(よそのいぬとしばらくあそぶたんばいこう)

(なかにしらんこ)

梅を愛でることは、観梅といって春の季語だが、それに先駆けて、野山に早咲きの梅を訪ね歩くことを「探梅」という。春の訪れを待ちきれず、季節を先どりしようとする心の弾みが伝わる。

「探梅」は、芭蕉の「香を探る梅に蔵見る軒端かな」という句によって、冬の季語として定着したのだとか。

梅を探して歩くといっても、せかせかしたものではなく、ゆったりとしている。ときには、途中で出逢った「よその犬としばらく遊」んだり。見知らぬ犬との交歓がいい。

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2007/01/29

柴犬の大きなあくび干大根

1/29    

星  智枝子

(しばいぬのおおきなあくびほしだいこ)

(ほしちえこ)

先日、有機農業をなさっている方から自家製の「干大根」を頂戴した。天日に干された大根は、日の匂いがたっぷり詰まって甘味がある。カルシウム、鉄分、ビタミン、食物繊維もたっぷり含まれている健康食品。

クセがなく、ふっくらしてやわらかい。水でさっと戻し、人参と油揚げを加えて油で炒めた

送ってくださった方は、日本犬と暮らしている。穏やかな冬の日、大根を干す傍らで「ふわあああ~」なんて、「大きな」口を開けて「あくび」をしているのかな。

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2007/01/28

狩の犬魔王の森を出できたる

1/28    依田明倫

(かりのいぬまおうのもりをいできたる)

(よだめいりん)

人を寄せつけない深い森の中の大樹。それに「魔王」が宿っているとして、「魔王の森」と呼ばれていた。そして、森の番人でもある「狩の犬」。

作者は、北海道在住ということもあり、大地に根ざしたスケールの大きさを感じる。

ところで、私が「魔王」で思い出したのは、ゲーテの詩にシューベルトが曲を付けた歌曲。父と子が馬に乗って嵐の中を急いでいると、子を誘う「魔王」の声が聞こえてくる。子は必死に父に訴えるが、ついに魂を奪われ死んでしまう。

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2007/01/27

軒を出て狗寒月に照らされる

1/27    

藤沢周平

(のきをでていぬかんげつにてらされる)

(ふじさわしゅうへい)

軒下にいた「狗」が、ゆっくり「軒を出て」いく。これからどこに行くのか。あとを追いたい気持ちを抑えて、「寒月」が煌々と照らし出す「狗」の姿を見守っている。一頭の「狗」から、冷え込んだ「寒夜」の寂寥感や諦念が伝わってくる。

こんな光景を私もいつか目にしたことがあるような気がして、懐かしい。『藤沢周平句集』(1999・文藝春秋)所収。

1月26日は、1997年に亡くなった藤沢周平の命日。寒梅忌の名で山形県で偲ぶ会が行われる。藤沢周平と俳句は、根強い人気の小説の源泉ともいえるものなのかもしれない。

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2007/01/25

寒鴉犬の屍を食ふ飛鳥村

1/25    有馬朗人

(かんがらすいぬのしをくうあすかむら)

(ありまあきと)

「人間は犬に食われるほど自由だ」。『メメント・モリ』の著者で写真家の藤原新也が、長きにわたるインド放浪の果てに書き綴った一文より。

ガンジス川の中州に立った彼は、望遠レンズで、流れ着いた水葬死体を犬が食べている光景を目撃した。

揚句の舞台は、インドではなく「飛鳥村」。人間のなきがらに群がっていた「犬の屍」は、「寒鴉」に食われる。そういえば鳥葬という風習もある。これらは、決して残酷なことではなく、とても自然な営みといえよう。

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2007/01/24

冬椿疲れて犬の鳴き止みぬ

1/24    守屋明俊

(ふゆつばきつかれていぬのなきやみぬ)

(もりやあきとし)

何に対して犬が執拗に吠えていたのか。他人に対してか、家人に何か要求していたのか。それはわからない。

「疲れて犬の鳴き止みぬ」は、自然にぽろりと口をついて出たという感じで、なんともいえないユーモアも漂う。もしかしたら、鳴き「疲れ」た犬は、そのまま眠り込んでしまったのかもしれない。

犬の「鳴き」声が止んだあとの静寂に、真っ赤な「冬椿」が溶け込んでいる。寒気の厳しいなか、咲き続ける「冬椿」に、包み込むようなあたたかさを感じる。

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2007/01/23

山眠るひとつの庭に矮鶏と犬

1/23    

古舘曹人

(やまねむるひとつのにわにちゃぼといぬ)

(ふるたちそうじん)

小型のニワトリの「矮鶏」は、江戸時代初期に中国から渡来し、さまざまな品種が作られ、国の天然記念物となっている。

私は、秋田犬ジョン万次郎と暮らしていたとき、矮鶏のヒナ数羽を譲り受けて育てたことがある。庭に離したところ、ぴいぴい鳴きながら歩き回った。その声を聞きつけて万次郎が飛んできた。

もしものことがあってはと鎖に繋いだところ、吠え出した。「ひとつの庭」の「矮鶏と犬」は、「山眠る」の静けさとは、正反対のにぎやかさだったなあ。

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2007/01/22

冬の夜や哭におどろく犬の声

1/22    

森 鴎外

(ふゆのよやなくにおどろくいぬのこえ)

(もりおうがい)

作者は、陸軍の軍医として要職を務め、小説家・評論家として活躍した明治の文豪。

舞姫をはじめ阿部一族高瀬舟などの小説やドイツ文学の翻訳、『俳句と云ふもの』という随筆もある。

坪内稔典の『俳句的人間短歌的人間』によると、日本人には俳句的人間と短歌的人間の2つのタイプがあり、前者は客観的で冷静、道化的精神の持主で、たとえば野村克也や夏目漱石、後者は主観的、自己陶酔的、真面目で、長島茂雄や森鴎外が挙げられるそうだ。

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2007/01/21

猟犬が嗅ぎていぶかる兎罠

1/21    

米沢吾亦紅

(りょうけんがかぎていぶかるうさぎわな)

(よねさわわれもこう)

兎狩は、大勢の勢子によって網の中へ追い込んだり、犬で追い出したりする。また、兎の通り道に輪状の針金で作った「兎罠」を仕掛けて獲ることも。野兎、黒兎、兎狩、兎網、兎汁なども冬の季語である。

人間の足がかかりぬ兎罠  福田蓼汀」という句があるが、兎がかかっている「兎罠」よりも、からっぽの「兎罠」のほうが私は怖ろしい。

「いぶか」しく罠を覗き込みながら匂いを嗅いでいる「猟犬」。もしかしたら、ある拍子にその罠に嵌ってしまうかも知れない。

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2007/01/01

元旦の一匹分の犬の餌

1/1    

桑原三郎

(がんたんのいっぴきぶんのいぬのえさ)

(くわばらさぶろう)

新しい年の第1日目に、初めて与える「犬の餌」。「元旦」、「一匹分」「犬の餌」と、名詞を連ねただけのような、素っ気ない印象の句だ。

でも、どんどん焦点を絞り込むことで、かえって犬に対する確かな愛情を感じる。「一匹分の犬の餌」を差し出しながら、「これからの1年も、これまでと同じように元気で過ごそう」と犬に呼びかけている気がする。

「犬の目に犬語見つけしお元日  武山節子」も「元旦」の句。新しい年も1日わん句、よろしくお願いいたします。

(わん句カレンダー)

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