インタビュー

2009/03/11

映画「遭難フリーター」監督にインタビュー

月刊「ジャーナリスト」2009年2月号に、映画「遭難フリーター」監督・岩淵弘樹さんのインタビュー(吉田悦子)が掲載されました。
みんなが「遭難」している時代 
http://jcjkikansh.exblog.jp/11007751/

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2007/02/11

横浜市立動物園 民営化を問う③

そして今年、開園55周年を迎えた。動物園ブームの到来もあり、これからというときに指定管理者制度の導入問題、である。1023日付の読売新聞は、「最近では自治体が民間団体などを指定管理者として、動物園の管理を委ねるケースも増えている。契約期間が切れて管理者が次々と変わるのであれば、長期の展望は描けない」と動物園への指定管理者制度導入を批判している。

「指定管理者制度は、公共施設の運営を自治体・外郭団体だけでなく、民間にも開放する制度で、管理運営者は、一定の期間で変わる可能性があります。野生動物の命を預かる動物園に、こうした制度を持ち込むこと自体、動物園を経営の場としてしか見ていない発想の貧しさを感じる。労働効率だけでは野生動物は到底飼えない。とくに希少動物の繁殖など種の保存について多大な貢献をしている動物園に、指定管理者制度はそぐわない」と小林さん。

東京都など他都市の動物園の職員に比べ、横浜市は動物技術職が多く、それが動物園の安定的管理につながっているとして評価されている。しかし、「欠員の補充もされず、サービス残業をしてがんばってきた現場職員の多大な努力はなんだったのでしょう。

この問題は、横浜の動物園の存亡にかかわること。動物園の公的役割を守るという意味でも、責任を持った直営での運営が大切だと、これからも粘り強く、広く訴えていきます」

生後1年未満のキリンのキリリンの人口授乳を終え、管理事務所に戻ろうとする小林さんを途中で呼び止めたものがいる。動物園の主ともいえるチンパンジーのピーコ(41)だ。オリの上から、手を叩いて歯をむき出し、声をあげた。私たち一般の入園者には決して見せないような表情。

「私を素通りしないで、と呼んでいるんです」と小林さん。「こうした野生動物との会話が毎日ありますから、楽しくてやりがいがあります。でも、類人猿やゾウなど、高度な知能を持ち、飼育係との信頼関係を何年もかけて築く動物が、安易な制度の導入によって健康状態が悪化して展示にも支障が出たり、事故につながったりする危険性も考えられます」

小林さんは危機感を募らせている。

(月刊「ジャーナリスト」第585号「緊急発言」)

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2007/02/10

横浜市立動物園 民営化を問う②

野毛山動物園の飼育担当歴30年のベテラン、小林強志さんは強く反対する。「ペットや家畜の飼育とは異なり、野生動物はまだ未知な部分が多く、長年培った飼育経験や技術が必要不可欠です。それを放り出して、民間業者に丸投げするなんて。そんな乱暴で無責任な提案を私たちは認めるわけにはいきません」

「平成20年に定年を迎える私は逃げ切れますが……」と苦笑しつつ、さらに訴える。「志を抱いて入園した若い飼育員や450代のベテラン職員が、現場を離れて市役所の別の部署に異動させられるなんてことは、あまりにもかわいそう。動物関係の職員は不要だと一気に放出して、新しい人材の育成はおろか、これまでの経験や技術も継承されなくなるなんて、考えられません。

旭山動物園の成功は、職員が飼育現場で得た経験から、それぞれの動物の魅力を引き出す方法を創造して、日日の業務に活用したから。その改革構想を市長が採用し、さらに施設整備のために40億円も投じたそうです。それなのに横浜市は、職員の意見も聞かず、お金もかけない。

民間になれば、人件費削減のため、労働単価の安い非常勤職員などを雇うでしょう。そうすれば、専門職は育たなくなる。野生動物の長期的な繁殖計画を無視して、見てくれがよくて人気のある動物を安易に展示する傾向が強まるかもしれない。動物園の主役は動物であって、職員はそれを支えるアシスタントに徹しなくては、動物本来の生活は保障されません。動物園の運営は、目先の収支だけでは評価できないのです」

小林さんが働く野毛山動物園は、みなとみらい21地区を眼下に見下ろす高台、野毛山公園の中にある。開園は、戦後まもない昭和26年4月1日。当時の名称は野毛山遊園地。園内は、日本庭園のなごりで緑豊か。各動物舎も自然の起伏をうまく利用して建てられている。ごく身近に、トラやライオンやキリンやジャガーやツキノワグマなどの野生動物のいきいきとした姿や息遣いを感じ、親しめる工夫が随所にほどこされている。周辺には、横浜市中央図書館などもあり、市民の憩いや散歩コースにもなっている。


ズーラシアの開園に当たり、野毛山動物園を廃園して統合しようとする動きがあったが、野毛山の伝統を消すなという市民運動が起こり、存続された。平成11年から改修工事を行い、14年11月にリニューアルオープン。動物の動きをより引き出すような展示や飼育員による丁寧な解説、体験実習・研修の積極的な受け入れなど、地道な積み重ねによって、来園者数も少しずつ回復してきた。実際は、管理施設の水道などのライフラインの老朽化など、職員は何かと不自由なことも多いそうだが、それでも10年以上にわたる節約の結果、管理費も3分の2以下になったという。

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2007/02/09

横浜市立動物園 民営化を問う①

自治体が、民間団体などを指定管理者として、動物園などの管理運営を任せるケースが増えている。横浜市も「動物園の直営を見直す」と公表。野生動物の保護や調査研究を行い、市民と動物を結ぶ架け橋でもあるはずの公立動物園が、経済効率を最優先にした大きな変化を遂げようとしている。その弊害とともに「民営化はやめて!」と訴える現場の声を聞いた。

新たな動物園のスタイルを示し、地域活性の可能性を示した北海道の旭山動物園の成功が火付け役となって、「動物園ブーム」が続いている。

一方で、横浜市は、野毛山と金沢にある市立動物園への指定管理者制度導入による民営化を進めている。これによって、公立動物園はどのように変わるのか? 市民にとって、そこに暮らす野生動物はもちろん、働く職員にどのような影響があるのだろうか?

現在、市内3カ所にある市立動物園のうち、野毛山と金沢は横浜市直営、よこはま動物園ズーラシア(旭区)は財団法人横浜市緑の協会への委託事業で運営されている。3つの動物園の入園料などの収入は約11億円。それに対し、運営コストは約30億円。年間で約19億円の赤字が生じ、入園者もズーラシアがオープンした1999年の313万人をピークに減少傾向にあるという。

そこで横浜市は、平成16年に、今後の動物園の運営について検討するため、「動物園のあり方懇談会」を立ち上げた。懇談会は、17年の最終報告で、経営の効率化と財源の多様化を目標に、野毛山・金沢をズーラシアと経営統合すべきとした。

この報告を受けて、横浜市は、これまでの直営をやめて一本化し、平成20年度から、野毛山・金沢両動物園に指定管理者制度を導入して緑の協会に委託すると発表。職員は緑の協会に派遣され、20年以降、再任用・再雇用職員は他の職種へ配置換えされ、非常勤嘱託員の職は廃止される。

これに、現場職員が戸惑いを感じないはずはない。金沢動物園の飼育技師9年目の清野悟さんは、「制度が導入されると、5年くらいの間に職員が大きく入れ替わります。妊娠期間が1年以上もある動物の管理など、いろいろ不都合が出てくるのではないか」と懸念する。 

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2006/11/08

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑩

誰もが自分の望む場所で

安心して最期まで暮らすために

 福島訛りのある山崎医師のコミュニティケア計画についてのお話は、どんどん熱を帯びる。山崎医師は、まさに、「進むべき道を見つけた」のだろう。

これまで、現場で問題に突き当たるたび、その1つひとつに丹念に向き合い、頭だけではなく、体全体で感じ、受け止めながら、前向きに取り組んでこられたのだろう。そうした試行錯誤の中で、ようやく辿りついたのが、コミュニティケアだった。

「これから日本は、超高齢社会を迎えて、家族がいない1人暮らしの高齢者や老齢の夫婦が増えますが、こうした人々を支えるには、24時間体制のケアが必要です。

死ぬということは、自分が直面しないとなかなかわからない。家族がそうなったとき、どうしたらよいかもわからないのが現状でしょう。ですから、まず、必要なのは、今の日本の状況は、このままでよいのかという問題意識を共有するプロセスではないかと思います。

自分が年をとって、病気になったとき、今のような老後や終末期の迎え方は、イヤだなと思う。たしかに聖ヨハネホスピスは、先駆的な働きをしていると思いますが、私がここに入れる保障はありません。

それならば、新しいシステムを作らなければと思うわけです。誰もが、自分自身の選択で、自分の望む場所で安心して最期まで生きることを可能とするために、今自分にできることは何かを考えること。そうしたことから、新たなエネルギーが生まれるのではないでしょうか」

山崎医師は56歳。いわゆる団塊の世代である。これから、老齢人口が最も多くなる時期に老後を迎えることになる。そのためにも、自分たちがなんとかしなくてはならないという意識が強いのだろう。

 現在、山崎医師は、コミュニティケアの運営形態を含めた具体的なプログラムづくり着手している。すでに、小平市内の住宅地にコミュニティケア用地も確保できたという。

「コミュニティケアを実践するために、在宅ホスピスケアを支える専門職チームに、ボランティアの人々も参加して、患者さんを支えることが重要です」

 と、これまでホスピスケアをめざすドクターや看護師やホスピスボランティアの養成に積極的に取り組んできた山崎医師は語る。

「うちの病院では、一般病棟から看護師さんがくる場合、すぐに現場に入らないで、最初の1週間はボランティア、もう1週間は看護助手さん、あとの2週間は看護師さんについて、計4週間の研修を終えて初めて、ナースとしてホスピスケアの現場に出ます。

ボランティアの人たちの視点を学ぶことで、看護職としての視点にはなかった、目からウロコの体験をたくさんして、そのあと、現場に入るので、ボランティアの人たちと一緒に動くことにも違和感がないようです。

このように、専門の職種を離れて、ちょっと視点をずらした経験をすることで新たに見えてくることがたくさんあります。コミュニティケアでも、こうした看護師さんたちの役割はとても大きいと期待しています」

 2年後には、山崎医師が標榜するコミュニティケアが実現の予定だ。

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2006/11/07

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑨

看護、往診、ヘルパーを核とした

小さな町づくりを

 山崎医師の構想は、従来のコミュニティの空間に、地域医療サービスの中核となるセンター的な拠点をつくり、それに隣接して新しい住まいを用意するという、まるで「小さな町」をつくるかのようだ。

「その町の核になるのは、訪問看護ステーション、往診専門の診療所、訪問ヘルパーステーション。これら3つがそれぞれ、現行の介護保険や医療保険のもとで動けばいい。

訪問看護先は、そこから歩いて1~2分で行けるところにあって、病院でいえば、ナースステーションから施設のいちばん端に行くのと変わらない距離であれば、回診と同じ感覚で往診ができる。そうすれば、医師も看護師も、ちょっとそこまでという感じで訪問することができます」

コミュニティケアを標榜する山崎医師が、今最も注目しているのは、往診専門の診療所だという。

「私はこれまで、聖ヨハネホスピスで定期往診をやってきましたが、これからは、往診を専門にやっていきたい。

やはり、施設にいて、施設をメインに診ながら、時間のあるときは往診もしますとなると、どうしても限界があります。

 そこで、往診だけで診療所が成り立つのかと思って、ある医師に『やっていけますか?』と訊ねたら、一定の利用者がいれば、十分やっていますよと。

診療所と訪問看護ステーションと訪問ヘルパーステーションが隣同士であれば、患者さんを訪問する日や時間帯は異なっても、核の部分で、顔を合わせて協議することができます。そうしたチームのサポートをいつでも受けられるということは、いいなと思ったんです」

山崎医師の構想はどんどん広がる。

「在宅で療養している人たちが、必要としているのは、日中にケアを受けることのできる空間、デイケア・デイサービスの機能です。

そこがしっかりしていれば、在宅の療養も継続できるけれども、逆にその機能がしっかりしていないと、独り暮らしであれば、家で孤独な時間を過ごすということになってしまいますし、家族がいても、家族の負担は大きいままです。

そのデイケア・デイサービスを、例えば、カルチャーセンターのようにして、語学でもなんでも、一般の人も参加できるレベルで、個別性のあるプログラムを選べるようにするとともに、豊かな地域サービスを提供していく、開かれた側面もあってよいと思います」

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2006/11/06

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑧

ホスピスを必要としているのは

がん患者さんだけではない

ホスピスの概念や理念は、本来幅広いものだったはずだが、日本においては、ホスピスの意味が狭められ、いつの間にか、がん末期ケアの代名詞のようになってしまった。

終末期の苦しさ、淋しさ、不安、せつなさ、辛さ……は、がんなどの特定の病気に限られたものではないはずなのだが。

一般病棟で働く医療者の中にも、「末期の人はホスピスへ」という暗黙の了解ができてしまっているようだ。そのことが、治療が困難になっている患者さんへの無関心につながっている気がする。

実際に、「主治医から、もう治療ができないからと、突然、ホスピスへと言われて大変ショックを受けた」という患者さんも少なくない。

 患者さんの気持ちに寄り添い、できる限り住みなれた自宅で最期を迎えたいという願いをかなえるため、ホスピスの新しい展開を模索していた山崎章郎医師が辿りついたのが、「コミュニティケア」だった。

 コミニュティケアという言葉は、福祉や地域看護の分野では、すでに用いられていた。しかし、医療と保健と福祉を統合して、地域におけるホスピスケアを担うまでには、まだ実現されていなかった。

「それは、ある意味、医療の怠慢だったのかもしれません。これまでの医療は、どこか閉ざされた中でやってきましたから。

これからは、10年以上にわたってホスピスの現場で培われたノウハウや貴重な体験をもとに、私たち医療者が、積極的に地域に出て行って、市民とともに患者さんを支えなければならないと思います」

 山崎医師は、1年にわたる休職の間に、高齢者福祉の世界に触れたことにより、福祉とホスピスケアとの融合によって、より多くの地域住民に貢献するコミュニティケアを提供することができるという確信を得た。

 山崎医師は、コミュニティケアを実現するため、さっそく東京都内で空いている土地がないか探し始めた。

 しかし、まったく新しく土地を探して賃貸アパートを建てようとすると、とても高くついてしまう。そのため、公共の遊休地や休校した小学校の空きスペースなどを活用することができれば、土地に関してのお金がかからずにすむのではないか、と考えた。

「さらに、建物のワンフロアに、周辺の人たちも行ってみたいと思うような、おいしい居酒屋やレストランも併設できたらいいなと。そうすれば、その建物に暮らすお年よりや病気がちの人たちと地域の人々との交流の場にもなりますよね」

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2006/11/05

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑦

施設ホスピスの次に

コミュニティケアを

しかし、現在の施設ホスピスは、原則的にがん患者さんを対象としている。施設ホスピスにとどまって、そこに入院してくる患者さんを診ているかぎり、がん患者さんに対してしかホスピスケアを提供できない。

そのことから、山崎医師は、ここ数年、施設ホスピスのあり方に限界を感じはじめていた。新しい道を切り拓きたい、何か新しい取り組みを展開しなければと考えてきた。

2001年、思いきって1年間、現場を離れて休職することにした。

「ここに赴任したとき、10年働いたら、しばらく現場を離れてみようと決めていたのです。ホスピスケアに対するなれや感性の鈍化も感じ始めていましたから。

現場のドクターたちも成長してきて、私がいなくても十分継続できると実感していたのと、するための1年にしようと思いました。でも半年くらいは、あっという間に過ぎてしまいました」

休職中の2002年6月、元朝日新聞論説委員の大熊由起子さん(現・大阪大学大学院教授)の勧めで、福祉日本一といわれる秋田県鷹巣町にある、痴呆老人のための複合福祉施設を訪問した。

そこには、自分のプライバシーを守れる個室があり、共有空間もあって、とてもうまく運営されているようだった。

なかでも、印象的だったのは、同じ敷地内に併設された、1人暮らしの高齢者向けの、バリアフリー設計の1DK賃貸アパートだった。

「共同のラウンジや浴場もあって、家賃を払って入るというんですね。僕は、そこを見たとたん、『これだ!』と思いました」

 それ以来、東京に戻ってからも、バリアフリ

ーの賃貸集合住宅を持って、その中に訪問看護ステーション、訪問ヘルパーステーション、往診を中心とする診療所の3つをつくれないか考えようになった。

その3つが核(センター)となって機能すれば、慢性疾患の患者さん、がん末期の患者さん、高齢で1人暮らしの介護を必要とする人たちが、病院や施設に入ることなく、地域(コミュニティ)の中で最期まで暮らし続けることができるのではないかと。

「これが実現できれば、施設ホスピスの限界の1つである末期がんの患者さんだけがホスピスケアの対象になってしまう問題も克服できるでしょう。

もちろん、ホスピスや老人施設とも連携をとれば、従来以上に地域に住む人にとって選択肢が広がり、生きやすく、住みやすいコミュニティが飼うになるでしょう」

 センサーに隣接して、いわゆる医療施設でも、福祉施設でもない、自分の住居をつくることによって、医療側と患者さん側の距離が近くなり、訪問がしやすくなる。同時に、より多くの人に医療サービスが提供できる。

それが、福祉施設や医療施設ではなく、普通の家として存在するならば、公的助成金は受けられないが、逆に制限もなく、自由でいられる。

入居期間などの限定もない。毎月の家賃さえ払えば、自分の空間として、自由に過ごせる。そうであれば、不動産業などの企業が、設置・運営に参加してもかまわない。

 「そのアパートに住む人は、病気でなくてもかまわないし、逆にどのような病気でもいいわけです。施設ホスピスのように、がんに限る必要はありません。

 ホスピスケアを受けたいけれど、がんではないから施設ホスピスに入れないといった人たちに、医療制度や福祉制度に頼らないかたちで、サポートしていくことができるんじゃないか、と思いました。

 ホスピスでは、差額の必要な個室に入ると、差額ベッド代として1日15000円、30日で45万円かかる。家賃であれば、そんなにかかるアパートはないから、施設に入るよりもずっと安い費用で暮らすことができる。医療保険と介護保険を使ってうまくやっていけば、入院を必要とするようなよほどの状況でないかぎり、そこで医療的な支援ができるだろうと」

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2006/11/04

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑥

ホスピスで大切なのものは

スピリチュアルケア

同時に、ホスピスを必要とする患者さんたちに共通することは何か、ということを考えたとき、末期がんという疾患だけではないのだと考えるようになった。

「がんの疼痛治療は、医者がその知識さえ持っていれば、症状コントロールなどによって、がんそのものが持っている苦痛を減らすことは、ある程度可能です。

しかし、がんという病気が進行して、身体が衰弱し、それまでできていた日常生活ができなくなってくるとき、患者さんの中には、『これ以上生き続けても意味がない、もう終わりにしたい』と口にする方も出てきます。多くの患者さんは、生きる意味や人生の意味、存在の意味のなさを感じはじめます。

そうした患者さんへのサポートが、ホスピスにとって最も大切なテーマではないかと思うようになりました。それが、最近いわれているスピリチュアルケアのあり方なのだと認識するようになりました」

これまで、ホスピス専門医として12年間にわたり、末期がんの患者さんのケアに取り組んできて、患者さんを通して学んだことは、「人間が死に直面するという問題は、がんという疾患に限らず、ほかの病気でも同じである」ということだった。

そのサポートが十分でなければ、せっかくの人生の最期に、とてもつらく惨めな思いで死を迎えなければならなくなってしまう。

自分では自分の尊厳を守れなくなった状態になったときに、その人の尊厳や権利を守ること。それがホスピスケアの目指すものなのだ、と考えるようになった。

 しかし、病状が悪化して、自分はこれ以上生きていても生きる意味がないと考えるようになるのは、これは何も末期がんの患者さんに限ったことではない。

 老齢であったり、ほかの病気であったりして、生きていくための日常生活が難しくなって、他者の力を借りなければならない状況になったとき、ほとんどの人が直面する、共通の問題なのだ。スピリチュアルケアは、がんの患者さんに必要なものだが、がんでない患者さんたちにも当然必要なものなのだ。

「ホスピスで最も大切なのものは、スピリチュアルケアだ」

山崎医師は、この当たり前ともいえる事実に気づいたのである。

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2006/11/03

在宅ホスピスケア「桜町病院ホスピス科」⑤

ホスピスは建物を示す

のではなく考え方

 消化器外科医として外科病棟に勤務していた山崎章郎医師は、そこで、一般病棟で療養する末期のがん患者さんの終末期医療を巡る、さまざまな問題を見つめてきた。

「医師は命を救うことを教育されていますから、そこのところを転換して、終末期医療を考えることは、なかなか難しい。自分たちが持っている医療技術を『この場面なら使えるな』と思ってしまったりする。過剰医療によって、結果的に患者さんを苦しめてしまうという苦い思いをすることもあるわけですから」

病院でのケアに限界を感じて悶々としていた頃、現在の桜町病院から、「聖ヨハネホスピスをつくりたいので一緒に仕事しないか」という誘いがあった。さまざまな問題を解決する方法として、ホスピスは、1つの理想に思えた。

実際に桜町病院に来て、一般の外科病棟では解決できなかった問題、例えば、患者さんとそのご家族が一緒に過ごす療養環境の実現など、たくさんのことが解決できた。

「しばらくは、ホスピスの仕事に満足していましたし、自分なりに充実していました。しかし……」

と山崎医師は語る。

「現場にいると、患者さんが、ホスピスケアを望んでホスピスにくるというより、医療的に限界で入院していられなくなって、ほかに行きなさいといわれて、途方に暮れてくる人が少なくないことがわかりました。

『ホスピスは建物ではなく、考え方である』という有名な言葉がありますが、いつのまにかホスピスが次なる病棟になってしまっていた。これは、大きな問題ではないかと。

ですから私は、まず、ホスピス外来で、ホスピスは、病院からの紹介でくる流れとは違って、治癒をめざす治療を前提としないところだということを、時間をかけてじっくり患者さんと話し合いました」

山崎医師は、

「緩和ケア病棟という施設を抜きにして、十分に患者さんとその家族をサポートできるシステムをつくらなければ、従来の医療の発想のまま、ホスピスが運営されてしまう。このままでは、患者・家族中心のホスピスケアとは異なるものになってしまうのではないか」

という強い危惧を抱くようになった。

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