日本犬

2009/05/08

吉田悦子のニッポンの犬探訪記26 秋田犬

意志強固にしてあふれる男気

人もこういう生き方をせねば

日本の伝統楽器、篠笛奏者の村山さんは、20年来の夢であった秋田犬との暮らしを実現。「民俗芸能と日本犬に共通点を感じる」という村山さんは、愛犬・天鵬号とのふれあいで得たエネルギーを演奏活動に生かしている。「家庭犬としての秋田犬の素晴らしさをお伝えし、少しでも日本犬の保存のお手伝いできたら光栄です」と語る。

「犬を飼うなら秋田犬!」1年前から子犬を迎える準備

ある日、私のもとに1通のメールが届いた。差出人は村山二朗さん。村山さんは、京都駅の構内で、何気なく私の新刊『世界の犬「101」がよくわかる本』を手にとってくださったそうだ。

買い求めて読んだところ、「たいへん感激した」とファンレターとして、初メールをくださったのである(自分の本のPRのようでゴメンナサイ)

村山さんのご了解を得て、そのメールから少し引用させていただこう。
「ブックカバーには、流行の愛玩犬が並び、失礼ながら、ファション感覚の犬種紹介本なのかと錯覚しました。『どうせ日本犬は冷遇されているのかな』と、あきらめ気分で読み始めたところ、冷遇どころか、日本犬のところは愛情にあふれ、行間から『作者は日本犬ファン』だと確信しつつ読み進めたのでした」
 メールを読むうち、村山さんは神奈川県三浦郡葉山町に在住で、天鵬号という秋田犬と暮らしていることがわかった。秋田犬は、年々飼う人が減っている。葉山町でも、天鵬号のほかにメスの秋田犬がいるだけだという。

散歩中によく「犬種は何ですか?」と質問される。「秋田犬です」と応えると、「初めて生きている秋田犬を見た」と驚く人も少なくない。それだけに、秋田犬に4ページを割いて大きく扱っていることに感激されたようだ。
「犬種にまつわるエピソードや情報が興味深く、楽しく読ませていただきました。特に紀州犬の伝説のところでは涙が流れました。かつて日本人は、オオカミと共生していたのに、明治時代に欧米に倣って駆除してしまったことが残念でなりません」

 心から日本犬を愛し、真摯な気持ちで愛犬と向き合う様子が伝わってきた。村山さんとその愛犬・天鵬号を訪ねるため、私は葉山へ向かった。

JR逗子駅で村山さんが迎えてくださった。真っ赤な車の助手席に乗って振り返ると、天鵬号は、顔をのぞかせている。村山さんは、ふだん「テン」と呼んでいる。私が「テンちゃん、おはよう」と挨拶すると、大きな瞳で静かに私を見つめる。実に目ヂカラがある。久しぶりに、たくましく堂々とした秋田犬を間近に見た。
 子供のころから犬好きだった村山さん。大人になったら犬を飼いたいと思い続けていた。秋田犬に魅せられたのは20年ほど前、秋田県大館市で秋田犬を目にしてから。

音楽家の村山さんは、篠笛という、日本の伝統楽器の一種の横笛の演奏・作曲・録音活動に携わっている。和楽器を通じた国際的な文化交流をすすめるとともに、篠笛の入門書を出版して実技指導にも力を入れている。

20代から音楽家として活動し、各地の公演や海外ツアーなどが続き、なかなか犬を飼う条件が整わなかった。3人の子供たちが、小学生となったのを機に、犬を飼い始めることにした。

犬種選びで議論になった。「ポメラニアンがいい」「パグもかわいいよ」「やっぱり柴犬でしょ」。妻も子供も小型犬を希望した。ところが村山さんは、「犬を飼うなら秋田犬!」と断固として押し切った。日本の気候に合うのは、やはり日本犬。ご近所の人に無駄吠えもしないし、演奏旅行で家を空けた際、番犬として家族を守ってくれるという思いもあった。

「でも、それは建てまえで、一番の理由は、積年の夢を今かなえないと、秋田犬初心者が、老年になってから飼ったのでは、体力的に難しいだろうと考えたからでした」と村山さん。
 秋田犬を飼いたいという、20年来の夢を実現するため、ブリーダーを訪ねて親犬を見に行き、育て方を聞いた。以前、飼っていた小型犬がメスだった(柴系とスパニエル系とのMIX、享年17)ので、「次はオス」と決めていた。

さらに秋田犬の飼育書を読んで情報を収集した。自宅の庭で放し飼いができるよう柵工事も施した。「仔犬は、最初の1年間が、しつけや運動や栄養の勝負となりますので、私は仕事のスケジュールを工夫し、万全の受け入れ態勢を整えました」というからハンパな覚悟ではない。1年にわたる準備の末、天鵬号は、村山家に迎えられた。
「私にとって初めての秋田犬ですので、犬種の特徴なのか、天鵬の個性なのか判別がつきませんが、豪胆な性格で、おびえたところは一度も見せたことがありませんね」と感心する。

「賢くて敏感、プライドが高い。頑固で意志が強いですね。一度決めるとテコでも動かない。散歩をしていても前進あるのみ、後退するのは大嫌い。途中で動かなくなることもありますが、何らかの理由があるので、多少時間がかかっても、納得すれば、理解して行動するといった柔軟性もあります」

村山さんは、天鵬号が幼いころから、葉山の町営ドッグランに通い、さまざまな犬と遊ばせるように努めた。そのため、天鵬号はどんな人にも優しい。特に老人や女性や子供、老犬や仔犬が大好き。家族意識も強い。『世界の犬「101」がよくわかる本』には、タイトルにあるよう101種について解説しているが、村山さんによると、

「各犬種ごとの性質を知ることができるので、ドッグランで無用なケンカをしないよう、事前に予測したりするのに大変役立っています」という。

「秋田犬は、売られたケンカは買うタイプですので、犬同士の相性に気をつけないと、相手の犬を傷つけてしまうおそれもあります。コーギーやジャックラッセル・テリアは、気が強いので、接触は避けるようにしています」

村山さんは、15年ほど前、北米のネイティブアメリカンの人権回復運動の団体から、日本の秋田犬の繁殖について相談を受けたことがあった。

その発端は、学術調査ということで、インディオのある部族の墓を掘り起こして人骨の採取を行なっていたのを、「先祖の墓を掘り起こさないでほしい」とインディオの人々が申し入れたことにある。

ところが政府は、それを受け入れず、訴訟問題となった。現金収入の少ないインディオには、裁判費用の負担が大きい。そのため、犬の繁殖というアイディアが持ち上がり、犬種として日本タイプの秋田犬が候補に上がったという。
 相談を受けた村山さんは、秋田県大館にある秋田犬保存協会を訪ねた。協会の顧問を務めていた獣医師の小笠原圭一氏にお話を伺った。そして、日本人やマタギと秋田犬の繋がりについてレポートをまとめ、資料とともに北米に送った。

その結果、ネイティブアメリカンのコミュニティーの判断により、秋田犬の繁殖・販売は実現には至らなかった。

「7世代先のことを考えて物事を決定し、生活するインディオでは、『日本犬は日本人の魂であり、利益目的で繁殖してならない』と結論づけられたのです。私のほうが、彼らから大切なことを教わったような気がしました」

日本犬はよく古武士と形容されますが、天鵬号もそうです。曲がったことを好まず、意志強固にして律義。あふれる男気。自分と比べて、なんとエライのだろう。人もこういう生き方をせねば、と教わることが多いですね」
 日本の伝統楽器である篠笛の演奏を天職とする村山さんは、「民俗芸能と日本犬に共通点を感じる」という。「日本の風土に育まれ、縄文時代より人々に愛されてきたのが、明治時代に欧米文化の波にもまれ、戦争によって存続が危ぶまれました。その一部は消滅し、戦後なんとか生き延びるも、現在では社会の変化により、新たな苦難の時代を迎えている。これは民俗芸能も秋田犬もまったく同じです」

村山さんは今、天鵬号の日常の世話を通じてもらったエネルギーを篠笛の仕事に生かしている。

「家庭犬としての秋田犬の素晴らしさをお伝えし、日本犬の保存に少しでもお手伝いできたら、光栄です」

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2009/03/09

吉田悦子のニッポンの犬探訪記25 甲斐犬

災害救助犬訓練で培った信頼関係は大きな財産

社会の役に立ちたいと山下さんは、甲斐犬・すぐりとともに災害救助犬の訓練に打ち込んだ。犬本来の意欲を活かしながら、確実に指示に従わせるトレーニングは、その指導方法の原点となった。日本犬初の災害救助犬として活躍するすぐりとのたゆまぬ訓練の日々やシビアな災害現場での活動経験は、すぐりが現役を引退した現在も深い信頼関係として、大きな財産となった。

すべての犬がピーピーおもちゃが好きと限らない

長野県小諸の獣医師・山下國廣さんの相棒、甲斐犬・すぐりは12歳。浅間山を臨む、豊かな田園地帯にある自宅の南向きの庭に、ゆったり横になっていた。

日本犬初の災害救助犬として活躍したすぐり。現役を引退した現在、家庭犬のしつけ指導や問題行動の治療に携わる山下さんのアシスタント犬をつとめている

まんまるのつぶらな瞳が印象的。いつでも、大きな目で山下さんとアイコンタクトをとり、指示どおり、横にぴたっとつけをする。

たくましい甲斐犬のオスで、堂々と落ち着いている。けれど、威圧感はない。誰にでも、からだを撫ぜさせてくれる。やさしくおだやかな、すぐり。

首には、トレードマークの小さなカウベル。力強くぴんと立った太いしっぽ。全体にふっくらと見えるのは、氷点下の寒さにも耐えられる下毛が密生しているため。若い頃から、アジリティやフリスビーや犬ぞりなどで鍛え上げた、引き締まった肉体は健在だ。

ふだんは、庭に掘った穴に横になっていることが多い。へそ天で爆睡していることもあるとか。訓練やしつけのインストラクター犬として、きりりと引き締まった時と、緊張の解けたふだんとのメリハリがついているのだろう。

そんなすぐりを前に、カメラマンのS氏が、撮影のための機材をゆっくり出し始めた。神経質なタイプだと、何をされるのだろうと不安になって、あとずさりすることも少なくない。でも、好奇心旺盛なすぐりは、「それ何?」とカメラに顔をすり寄せるように覗き込む。カメラマン氏は、そんなすぐりの鼻先に、挨拶がわりに、持参の音の鳴るおもちゃを差し出した。そして、「キュウ!」と鳴らしてみせた。

その瞬間、からだをびくっとさせたかと思うと、すぐりは、ゆっくり横に移動し、数メートルの距離をとった。

 山下さんが、すぐりを呼び寄せると、元の位置に戻ってオスワリをする。が、様子がすこしおかしい。そのうち、すぐりの前足が小刻みに震えだした。

「実は、すぐりは、音にとても敏感です。でも、ここまでイヤがることは滅多にありませんから、ぼくもびっくりしました」と山下さんが説明する。

「興味を持って好意的に近づいたのに、いきなり顔に向けてイヤな音を立てられたので、驚くとともに、裏切られたような、何をされるかわからない、という感覚になってしまったのだと思います。こうした反応は、すぐりに限らず、日本犬ではそれほど珍しいことではありません。すべての犬が、音の鳴るおもちゃが好きとは限らない、ということですね」
 驚かせてしまってごめんね、すぐり。でも気を取り直して、仲良くしてね。すぐりの背中をなでながら、私は語りかけた。安心したのか、すぐりから、怯えた様子は消えていた。

もう一度、山下さんに呼ばれたすぐりは、大きなまなこをくりくりさせ、その膝の上に抱かれて、いっしょの写真に納まった。

日本犬の中でも甲斐犬は、とくに繊細だ。神経質で警戒心が強いため、初心者には扱いづらいとか、トレーニングが難しいと思われていることも多い。なかには、気性が荒いため、人間が上位であることを実力行使で教えることが必要だという意見すらある。
「日本人は日本犬と何千年も昔からともに暮らしてきました。いくつかのトレーニングで思うような結果が出ないからといって、日本犬はトレーニングが難しいとレッテルを貼ってしまうのではなく、日本犬に合った長所を生かすトレーニングを工夫していきたいと思います」と山下さんは語る。

子どもを育てるのと一緒で愛情を持って根気よく
 山下さんが「これだけはやめてほしい」ということがある。飼い主がリーダーであると認識させるトレーニングと称して、犬のマズルを強く握って叱ったり、両頬をつかんで睨みつけたり、ひっくり返して押えつけたりすることだ。かえって、人間に対する不信感から深刻な攻撃性を引き出してしまう事例が多いという。

「まず犬と人が、できるかぎり対立関係を作らないように、飼い主と犬の目的が一致するよう楽しくやること、それがトレーニングの基本です」
 一般にしつけのトレーニングのため、食べ物を用いる場合も多い。けれども、日本犬の場合、気が散るような環境では、食べ物はもちろん、おもちゃやボールに興味を示さないことがある。通常なら喜んで食べる犬でも、単調なトレーニングを繰り返しさせたり、気が乗らないのに食べ物を用いてやらせていると、満腹でなくても食べ物を拒むことがある。

「食べ物だけに頼ってトレーニングするのではなく、犬自身が楽しく意欲的に、達成感を持てるように工夫することが日本犬のトレーニングには不可欠です」と山下さん。
「日本犬は、自然の中で、たとえ野生化しても生きていける高い能力を持っています。自立性の高さ、危機を回避する能力、食料を獲得する能力、状況を判断する能力など、野生動物が本来持っている性質をそのまま保持しています。これらの特性を長所として生かしながら、飼い主との共通の価値観のもとに育てるには、画一的なトレーニングよりも、日常のきめ細かな接し方が重要です

たとえば、動物同士が、動かずにじっと見つめ合うのは、基本的には敵対関係です。どちらかが先に視線をはずすことで闘いは回避されます。でも、互いに譲らずに見つめ続ければ、ほとんどの場合はケンカになります。

多くの犬は、家畜化の過程で警戒心を薄める方向で選択繁殖されてきました。でも、日本犬は、番犬や獣猟犬として、野性動物の持つ警戒心をかなり維持しています。日本犬にとって、相手に見つめられ続けることは、食べ物よりもずっと強く作用するのです。

神経質な犬に、じっと見すえるようなアイコンタクトをとることは、ヘラヘラして能天気な犬に、いきなりチョークをかけるよりも、ずっと強烈なバツかもしれません。犬にとって、何がうれしくて、何がイヤなことなのか、1頭1頭見きわめながら、犬の立場に立ったトレーニングの方法を組み立てるべきでしょう」

あるとき、「ボールを投げて犬に『持って来い』をさせて運ばせても、こちらに近づくと、すぐ手前にボールを落として、手渡しができない」という問題を飼い主から寄せられた。

すぐりも、「持って来い」は喜んでやるし、きちんと手渡すこともできる。でも、持ってきたときにすぐボールを受け取らないと、地面にぽとりと落としてしまう。「渡せ」といえば、もう一度ボールを拾って手渡してくれる。こちらが、すぐに受け取る体勢でないときは、ずっとくわえている必要はない、と判断する。
 犬もオトナになると、なるべくムダなことはしないようになる。とくに用事がなければ1日中寝ているといったことは、古くからの犬の形質を受け継ぐ日本犬によく見られる。

ある甲斐犬の飼い主は、「甲斐犬は性質がきつくなるから、できるだけ厳しくしつけよう」と思うあまり、小さいころから叱ってばかりいた。「ダメッ!」「こらっ!」「いけないっ!」のオンパレードだった。

山下さんに出会ってから、「ダメッ」といわずに「違うよ」と声をかけるようになった。「おすわり」といったのに「ふせ」をした、「まて」といったのに動いてしまった。そのたびに、「NO」「いけない」と大きな声を出していたら、犬は萎縮してしまい、いつしか飼い主から心が離れてしまう。

場合によっては、反抗的になったり、意固地になるかもしれない。びびり屋や繊細な犬の場合、大きな声で叱らず、「違うよ」と声をかけるようにすると、飼い主の意志が犬に伝わりやすい。

「一方的に叱るのではなく、犬にも少し考える時間を与えるといいでしょう。時間はかかるかもしれないけれど、ここは伏せるところか、待てなのか、と考えさせるようにすると、その都度、的確な状況判断ができるようになります。もともと日本犬は、自分で考え納得したうえで行動できる犬種です」

すぐりは、甲斐犬愛護会東京支部の故・柳沢琢郎さんから譲り受けた。「賢い犬が生まれたら頼みます」という山下さんに、「おもしろい犬が来たぞ」と連絡が入り、生後2ヶ月で手に入れた。もともと静かでおとなしかった。

甲斐犬は、なかなか他人になつく犬ではないので、子犬のころから多くの人や犬に会わせ、情緒豊かに育てた。

「できるだけさまざまな指示を教えたいと、すぐりの自発的な行動について、可能なかぎり、すべてに号令をつけて、意味を演出しながら定着させるようにつとめました」

すぐりの特性をうまく活かしながらトレーニングを進めたところ、誰に対してもやさしい穏和な犬に育った。勘のいいすぐりは、なんでもすぐ体得した。その高い知性と身体能力を生かそうと、訓練競技会、アジリティー、犬ぞり、狩猟など、山下さんはすぐりとともにさまざまなことに挑戦。すぐりと社会の役に立ちたいと、災害救助犬の訓練にも打ち込んだ。すぐりが3歳のとき、災害救助犬に認定された。

災害救助犬は、鋭い嗅覚によって、災害現場で瓦礫や倒壊家屋の下に埋もれた人を探し出したり、山岳遭難などの行方不明者を探す。指導手の指示に従い、果敢に人のにおいを探しまわり、においをかぎつけたら吠えて知らせる。救助犬に適しているのは、他の人や犬に友好的で、かつ大胆で行動力のある犬。臆病な犬は向いていない。

ある捜索訓練に、ラブラドール・レトリーバーやジャーマン・シェパード・ドッグなどの大型犬に混じって、1頭の甲斐犬がいた。シェパードやラブにもひけを取らない素晴しい動きで、「よくぞここまで甲斐犬を訓練したものだ」と訓練士の間で評判になったという。それが、すぐりだった。

救助犬の訓練をする中ですぐりとともに培ってきた、犬本来の意欲を活かしながら確実に指示に従わせるトレーニングは、山下さんの指導方法の原点となっている。また、日々の弛まぬ訓練やシビアな災害現場での活動経験は、すぐりが現役を引退した現在も、深い信頼関係としてお互いの財産になっている。

「犬のトレーニングは、人間の子どもを育てることと一緒で、愛情を持って根気よくしつけていくことです。しつけの基本は、して良いこと、悪いことの区別をしっかりと覚えさせること。肝心なのは犬に信頼感を抱かせることです。人との絆ができて初めてこちらの指示を聞いてくれるからです」

日本犬初の災害救助犬が誕生したのも、山下さんとすぐりとの深い絆があったからこそ。我慢強いすぐりは、和を大切に、弱いものにやさしく、その場の空気を瞬時に読み取り、的確に判断して行動することができる。

「背中のジッパーを下げたら人間が入っているんじゃないかと思うくらい、とても人間くさい。ぼくより人間ができているなあと思うことがあります。わが犬ながら、尊敬しています」

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2009/02/10

吉田悦子のニッポンの犬探訪記24 柴犬

飼い主の心を読みとる

柴犬の可能性を求めて

警察犬の服従訓練に挑戦!

ラブラドール・レトリーバーの警察犬訓練に打ち込みチャンピオン犬も生んだ米田さん。金章犬を獲得した柴犬アイのさらなる可能性のため、新たな目標に向けて訓練を開始した。

秋田から東京に来たアイ

見事、金章犬に輝く

昨年の柴犬保存会第95回本部展で、「金章犬」に輝いた「松の紅姫」は、秋田市内の米田義男さんの愛犬で「アイちゃん」と呼ばれている。平成17年5月11日生まれの3歳。

アイは利発だが、とても警戒心が強い。秋田から東京に来て、会場に馴れないためか、審査の間は、最初から最後まで、ついにしっぽを上げなかった。

「たしかに尾を下げたままだったので、すこし見栄えはしなかったですね。飼い主さんが訓練のため、いろいろ命令を出すたびに耳を動かして敏感に反応していましたが、眼のかたちはまったく変わらない。犬としての本質は、大変すぐれたものを持っていると思います。完全歯で、体型や歩く様子や顔貌も良いメスです。これから、良い子犬を産ませるよう努力してほしい」と審査委員の平村定知さんは述べた。

もっといろいろな経験を

積ませたいと競技会に挑戦

 金章犬は、大変厳正な審査のもとに決められる。それだけに、愛犬のアイが金章犬を受けたことは、米田さんにとって、とても喜ばしいことだった。でも、これまで金章犬になることを目標としてきただけに、正直なところ「なんだか楽しみが終ってしまったなあ」という気もした。

 金章犬や作出などで功績のあった犬は、「参考招待犬」として、展覧会で披露される。金章犬となった犬は、その後も適正な飼育を続けていくことで、歳とともに内面の充実が外面にも反映して、一層の輝きを増す。

年齢とともに完成度を高めていく姿を披露することは、飼育管理の参考になる。

「でも、ただ参考犬として展覧会に出すのは、少し物足りない気がしました」と米田さん。

思いなおした米田さんは、アイと訓練に取り組むことにした。社団法人日本警察犬協会NPDA)秋田支部に所属する米田さんは、もともとラブラドール・レトリーバーの警察犬訓練に打ち込んできた。

現在、アイのほかに「シバ」という8歳のメスの柴犬、5頭のラブもいる。なかでも、マリンとサクラという3歳になる姉妹は、日本警察犬協会でチャンピオンに輝いている。

米田さんが作出したラブは、秋田で行方不明になった老人を探し出した。さらに、東京に送られたラブは、介護犬としても活躍しているという。

アイは、金章犬を受章したのち、4頭の子犬を産んだ。子犬たちは遠く九州や滋賀、そして秋田と、それぞれの飼い主のもとへ渡された。

アイは、母親譲りの激しい気性の持ち主だ。年上のシバに対しても、ケンカをしかけることがある。シバの左目の下に傷が残っているが、これはアイに噛まれたもの。子犬を産んでも、アイの気の強さは、いっこうに変わらなかった。

「柴犬は、一対一で集中して覚えさせると、実にいろいろなことを覚える。ただペットとして飼うだけではなく、可能性を広げたいと思いました。金章犬そして母親となったアイに、もっといろいろな経験を積ませたくて、競技会に出ることにしました」と米田さん。

日本警察犬協会の競技会は、その名の通り、警察犬向けの競技がメインである。そもそも警察犬協会の競技会は、警察犬になれる指定7犬種(ジャーマン・シェパード、ドーベルマン、ゴールデン、ラブラドール、コリー、ボクサー、エアデール・テリア)で行われる。筋骨たくましい堂々たる大型犬、どちらかというとコワモテの犬もいる。
 競技会は、本部、支部、訓練士会などが主催し、全国各地で行われる。審査会は、警察犬種7犬種の参加に限られ、警戒、選別、追及、服従の科目をそれぞれ難易度別に分け、さらに、嘱託犬の部、プロの部、アマの部などに分けられる。

警察犬種7犬種以外でも参加できる服従訓練

そもそもアイは、柴犬保存会の血統書はあるが、警察犬協会の血統書はない。血統書がないと本部主催の競技会は出場できないそうだが、地方支部主催の競技会なら血統書がなくても良い。つまり、本部主催以外は警察犬種7犬種以外でも参加することができる。ただし、会員の所有犬に限るようだ。

当たり前だが、柴犬は、警察犬にはなれない。しかし、警察犬種以外が対象となる「G1(紐付・紐無脚側行進、停座招呼)」や「G2(紐付・紐無脚側行進、停座招呼に物品持来、障害飛越が加わる)」にチャレンジすることはできる。こちらには、チワワやシーズーやトイ・プードルなどの小型犬も出場しているようだ。

訓練競技会は、犬に定められた規定の行動をとらせてその正確さを競うもの。100点満点で採点され、得点の高い順より順位が決められる。高得点をとって合格するには、犬の性能はもちろんだが、飼い主のハンドリング能力も問われる。

そのため、自分と愛犬との信頼関係を確認する良い機会となる。「アイとのまた新たな1歩が踏み出せるのではないだろうか」と思った米田さんは、金章犬に輝いたアイの可能性を広げ、より信頼関係を深めるために挑戦することを決意した。

訓練には次のようなものがある。まず、「紐付き脚側行進」。リードを付けて所定のクランクコースを往路は通常の歩幅で、終点にて右回りして止まらずに、復路は速歩で出発点に戻り、右回りをして「脚側停座」をする。
 「紐付き立止」。犬に「立止」を命じ、飼い主はリードの末端を持って犬と対面し、犬の周囲を、左回りして対面、次に右回りして対面後、犬の右肩の位置に立って、審査員の指示で犬を「停座」させる。
 「紐無し脚側行進」。リードをはずし、所定のクランクコースを往路はふつうの歩幅で歩き、終点にて右回りして止まらずに復路は速歩にて出発点に戻り、右回りをして「脚側停座」をする。
 「停座および招呼」。犬に「停座」を命じて、「停座」後に飼い主のみ常の歩幅で10歩前進したのち、立ち止まり、まわれ右して犬と対面し、審査員の指示で「紹呼」して、飼い主の直前にて犬を「対面停座」させ、さらに審査員の指示にて「脚側停座」させる。

脚側行進や、犬のみを立ち止まらせて呼び寄せたり、障害物を飛越(障害飛越)させ、投げた物品を持って来させたり(物品持来)、何分間か伏せをさせておく(休止)など……。

基本的に、飼い主の命令で、犬を足もとに付けさせ、犬とともに決められたコースを歩くというもの。犬が本来もっている忠誠心や服従性を競い合うもののようだ。

それで思い出しのだが、私は、たまたまニュースで、日本警察犬協会の競技会の「警察犬種外」部門で、青森県の推定2歳のミックス「ララ」がチャンピオンに輝いたことを知った。ララは首輪がない状態で、路上をさまよっていたところを逸見さんに拾われたという。

飼い主の心を読み取って行動する

柴犬の可能性

逸見さんは、「飼うのなら最低限のしつけをして、犬も人間も互いに楽しく過ごせるようにしたい」と訓練をするようになった。ララは短時間で「フセ」を覚えるなど、30年以上犬の訓練師をしている人も「こんなに頭がいい犬は見たことがない」というほど頭角を現し、北日本大会をはじめ各種競技会でチャンピオンを獲得した。
「一度は捨てられたララが、大会で頑張ることで、世間の人たちが動物に愛情を持つようになってくれればうれしい。たくさんの捨て犬や猫が殺処分されているが、動物を飼う人たちに、どんな動物でも素晴らしい可能性を秘めているということを知ってほしい」と逸見さんは話している。
 その可能性を眠らせるかどうかは飼い主次第といえよう。
アイは、初めての犬にも人にも警戒心が強く、その反面、神経が細やかで辛抱強く、集中力もあった。米田精工という会社を経営している米田さんは、仕事の合間に、毎日10分ほど服従訓練を行った。

練習の基本は、とにかくアイの指導手である米田さんへの集中力を高めること。紐付き、または紐なしの脚側訓練、並足、速足、「マテ」「コイ」など、型にはまった練習を毎日続けていくと、アイのほうも遊び感覚で、どんどん訓練を覚えていった。

気が強いアイは、人間でいうと負けず嫌いということになるのだろうか。神経が鋭敏で物覚えも早かった。

そのうちアイもだいぶ慣れてくる。競技会当日にアイの集中力と緊張感がピークに達するように、最も良い状態で競技会に臨めると最適だ。

競技会の紐付脚側行進での「クランク型のコース」の往復でも、アイコンタクトはばっちり。「招呼及び停座」で、10m先にいる米田さんに「コイ」と呼ばれると、すぐ反応して走り寄った。柴犬のアイの俊敏な動きは、会場でも目立っていたことだろう。

米田さんが、アイと競技会に出ようと思ったのは、良い成績を残すことも目標だったに違いない。「飛べ!」の一言で、アイの障害飛越が、びしっと決まったときは気持ちが良いだろう。でも、それ以上に、アイと気持ちを合わせて楽しく訓練に励み、良い結果を生みたいという意識が強かった。展覧会のときのアイは、多数の見知らぬ人に囲まれ、最後までしっぽを上げないことが多かった。でも、競技会の場合、審査員や見学者は、離れたところで観ているので、米田さんと一対一で集中できる。ともに頑張ることで信頼関係が深まったといってよいだろう。

アイは、2007年11月に挑戦した警察犬種指定外のG2訓練試験で、見事な服従を披露し、優の成績で合格した。現在、さらに上のクラスを目指して訓練に余念がない。

野性を保ち続けているといわれる柴犬保存会の柴犬は、自分で考え、その都度、適切な判断をして行動する力を持っているといわれている。

飼い主と心が通い合うと、飼い主の心を先に読み取って行動するようになる。こうした野性は、山野を駆け回る猟犬としてはもちろん、家庭犬としても日常生活の中でも発揮されることだろう。さらに、飼い主に従順な柴犬の特性が生かされ、介助犬や聴導犬など、社会的な役割がより広がることが期待される。

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2009/01/25

吉田悦子のニッポンの犬探訪記23 北海道犬

人と動物の共存が

ニッポンを救う!

クマ対策犬訓練中

北海道犬による野生動物の追い払いの訓練に孤軍奮闘する鈴木延夫さん。そこには、「人間とは何か」という気持ちから動物行動学を志し、アラスカオオカミに対する畏敬の念がある。強靭な北海道犬とともに自然と向き合う日々を追った。

野生動物の駆除ではなく

共存するための追い払い

長野県伊那市。南・中央アルプスに挟まれたこの地域は、ツキノワグマやニホンザルやイノシシなどによる農作物の被害が深刻化している。

「人間の栽培する農産物は、野生動物にとって麻薬みたいなもの。その味を1度覚えてしまった動物は、一種の麻薬中毒に陥ります」。そう語るのは、動物行動学の専門家、鈴木延夫さん。

北海道大先端科学技術共同研究センター助教授を退いた鈴木さんは、伊那市に招かれ、北海道からゆきえ夫人といのりちゃんと移り住んだ。

野生動物による農作物への被害を防ぐため、クマやサルが人里に現れたら、訓練した北海道犬に追い立てさせる。そうすれば、野生動物たちも学習して人里に出てこられなくはず。鈴木さんは、北海道犬を活用した野生動物の追い払い、「人間と野生動物の共生プロジェクト」に取り組んでいる。

鈴木さんによると、人間と野生動物の共存を制御するには、①人間と野生動物の生活圏を完全に分離する、②人間と野生動物が混住したまま双方を制御する、という2つの方法がある。

「農家によって、さまざまな作物が耕作されている日本では、完全無欠な有害鳥獣対策はありえません。ただ、野生動物を害獣として駆除するのではなく、人と生きものが共存するための試みとして、ぜひとも、北海道犬を用いた追い払いプロジェクトを成功させたい。そして、ほかの地域でも生かしてもらえたら」と抱負を語る。

生命力、認識力、闘争力、総合的能力は随一

北海道犬は、北海道の原住民・アイヌ民族がヒグマ猟に用いた中型の日本犬。寒冷な自然環境を生き抜く強靭な生命力。氷点下の冷水や流れに飛び込んでも健康に問題はない。伝染病に対する抵抗力も強い。

崖や壁をたくみに爪を駆使して上がり降りする。粗食に耐え、飢餓に対する驚異的な耐性力は注目に値する。

狩猟性に富み、高い運動能力を持つ。飼主に従順。ムダ吠えをしない。勇猛果敢。野生動物に恐怖感を持たない。視覚、聴覚、嗅覚が敏感。野生動物の発見能力に秀でている。

生涯にひとりの主人にしか仕えない。いったん身につけた能力は、一生忘れない。訓練者に対する主従関係を厳格に保つ。人間と一体になった追跡能力に優れている。

「アイヌの人たちが、ヒグマ猟のために活用してきたアイヌ犬は、長年にわたる人為淘汰の結果、嗅覚・聴覚・視覚、闘争力、持久力、主の意図を認識する能力などに優れている。総合的能力は、他の犬種の追従を許しません。有害鳥獣対策の利用価値はきわめて高い」と鈴木さんは指摘する。

人間大好き、明るく元気に疾走する犬たち

昨年10月、北海道に住む北海道犬のブリーダーから子犬10頭が伊那に届いた。最適な入手時期は、生後4560日。世話をする訓練者に対する絶対的信頼や服従性を刷り込むためだ。

生後120180日は、標高差の大きい伊那の地形へ順応する訓練を行う。生後180日から、野生動物の発見および撃退訓練。それ以降は、リ-ダ犬および追従犬の選別訓練をする。

ところが、当初から波乱にみまわれた。最初に入手した子犬のうち5頭が、激しい下痢と吐き気を繰り返し、生後90日齢前後で死亡。パルボウイルスに感染していたのだ。

深刻な伝染病は、ほかの子犬にも蔓延。そうした事態が、昨年から今年2月まで続いた。さらに訓練中、イノシシとの闘いで、リーダー犬をはじめとする数頭が重傷を負った。

鈴木さんは、現在、自家繁殖にも取り組んでいる。生後90日までは、自宅の庭に設けた犬舎で育てる。その後、近くの訓練場所で、初期訓練と本訓練を行う。訓練法は、動物学習心理学や動物行動学をもとにしている。

半年間は、主に追い払い犬として必要な感覚を磨く訓練。生後1年の2頭をリーダー犬に、前に述べたように、生後4カ月の4頭は里山での順応訓練、生後8カ月の2頭は、野生動物の発見・追跡訓練を行う。

本来、北海道犬は「一生一主」だ。しかし、こうした訓練後は「一生多主」となる。つまり飼い主の変更が容易になる。また、単独生活から集団生活へ、排他性から共存性へと習性が変化する。歩き方は、ベタ足からつま先へ(犬族からネコ族へ)。過度の攻撃性から温和な性格へ。山を歩くとき、人の前を行く先行型から人に付き添う追従型へ、というように大きく変わる。

実際に、私も北海道犬たちと山に入った。リーダー犬のリョウは、イノシシにやられて後ろ足にケガを負った。しばらく安静にしていた。山に入るのは久しぶりだ。リョウはじめ、喜びにあふれる犬たちは、全身で私に突進してくる。人間大好き。とにかく明るい。元気に疾走するリョウ。ほかの犬もそれに続く。山中では、互いに50メートルほど離れて行動する。

訓練では、クマやサルやイノシシ、シカなどの野生動物を見つけたら、300~400メートル、30分ほど追い掛けて山奥へ追い払う。
「人里に下りてきた野生動物を頂上近くまで追い返す。これを何度か繰り返すことで、野生動物が『ここを荒らすのはやめよう』と学習する。猟犬のように野生動物を仕留めるのではない。むしろ、こらしめに近い。野生動物との共存のための助っ人として北海道犬を育てたい」と鈴木さんは強調する。
 地形が複雑なため、通報を受けてから、鈴木さんが犬とともに現場へ向かうまでに30分くらいかかる。そのため、各集落に北海道犬のチームを置いて活動できれば、と期待している。
 今後は、北海道
犬の繁殖にも力を入れ、3年をめどに、訓練を受けた犬を地域に払い下げ、農作物被害を受けている農家に北海道犬を飼ってもらいたい。鈴木さんは、調教した犬とともにその家に出向き、継続的に犬の訓練をできたら、と考えている。

「犬の飼育や訓練と並行して、市民から公募して専門の訓練者、つまり後継者も養成していきたい」

人知を超えた能力を持つオオカミに畏敬の念

鈴木さんが、人間と動物との共存を考えるようになった原点は、少年時代にさかのぼる。日本、ロシア、フランスなど文学に熱中し、難解な哲学書を読みふけっていた。鈴木さんの頭を占めていたのは、「人間とは何か」という大命題であった。

北大に進むと、実験心理学を専攻した。その専門分野のひとつに、動物心理学があった。人間の心理を知る前に動物について知ろう。鈴木さんは、身近な野良犬の習性や生活を調べた。そして、犬の放尿がテリトリーを主張するという、それまでの常識を覆す説を発表した。

3頭の野良犬が、同じ場所に放尿してもケンカにならない。しかも、放尿には規則性はなかった。研究の結果、犬は、他の犬の尿や何かのにおいに緊張し、不安を感じて放尿することを実証した。放尿は、なわばりを示すのではなく、興奮のサインだった。

さらに自宅で、犬をはじめ、ネズミ、ニホンザル、オオカミ、キタキツネなど、あらゆる動物を飼育し、社会行動学や習性を研究するようになった

サル学にも注目した。愛知県犬山市の京都大学霊長類研究所で、ニホンザルの集団を使って実験した。異なる場所で飼われていた5頭のニホンザルを一緒の部屋に入れて餌を与え、どのようにして社会的順位が生まれるのか観察した。社会的順位は、一度出来ると簡単に崩れない。長期にわたって安定することがわかった。

昭和54年、北大文学部に行動科学科が設立された。大学院生時代から、鈴木さんは、蝦夷オオカミの絶滅の原因について考えていた。犬・人間・オオカミという三者の奇妙な歴史的関係の答えを探すため、84年から90年にかけて、アラスカに通った。

注目したのはハイイロオオカミ(蝦夷オオカミの仲間)。ハイイロオオカミの繁殖期における社会生活の実態について研究した。

滅びゆく運命にあるオオカミの姿を求め、アラスカの過酷な大自然に分け入り、長期にわたって探索した。『アラスカの雪原にて』という著書もある。オオカミと人間社会の関わり合いを深く問い直すうち、鈴木さんは、オオカミに魅入られた。

しかし、過去の歴史では、オオカミは評判が悪い。「赤ずきん」や「三匹の子ブタ」の物語に見られるように、オオカミは、貪欲で愚鈍な動物として描かれている。

 どうして、このようなオオカミ像が生まれたのだろう? 

人が山野を切り開いた牧場で飼っているヒツジをオオカミが襲う。家畜を強奪するオオカミは憎まれ、悪のイメージが定着した。人口の増加と自然破壊で、オオカミの生息域は減少しつづけた。獲物を奪われ、囲い込まれたオオカミは、家畜を襲った。

群れで狩りを行うオオカミにとって、社会的順位は重要だ。順位は生存のための基本条件。それを維持するための努力が払われる。

「オオカミは、野生動物の中でも、人知を超えたすぐれた能力を持つ、尊敬に値する生きもの。オオカミに畏敬の念を抱いています」と鈴木さん。

野生の意味、本来の野生とはどういうものか。その対極にある犬や猫などのペットはいかなる存在なのか。北海道犬のような強靭な犬を日本人の多くは飼いならすことができなくなっている。無害で超小型のペットに夢中になっている現代人。いったいどこに行くのか?

10代から、「人間とは何か」を考えてきた鈴木さんは、自問自答する。

「日本は、少子高齢化、子供を虐待したり、子供が親を殺したりする事件が噴出しています。それは、日本人が家畜化の一途をたどっていることに原因があるのではないか。老いも若きも脆弱になり、自立心を失った典型的な家畜のように見えます。日本人は、自己管理能力を失っている」

イノシシとの対決訓練で傷を負い死に至るケ-スも

鈴木さん宅では、この夏、3頭の子犬に続いて、6頭の子犬が誕生した。素晴らしい犬同士の交配で、性質のすこぶる良性な健康な子犬たち。「北海道犬に関心のある人は、ぜひお問い合わせください」と鈴木さん。

某日朝5時半、クマ出没情報により、鈴木さんは、中央アルプスのふもとへオス犬3頭と急行した。そこで、1頭が原因不明の裂傷を負う。翌日、犬たちと山歩き中にイノシシの親子と激突。このときは、みんな無事帰還した。

これまで少数精鋭で、北海道犬の訓練に没頭してきた。当初の予想に反し、イノシシとの対決訓練では、傷を負い、死亡に至るケ-スもあった。野生動物から直接伝染する犬の病気も無視できないことが判明した。

これからは、リ-ダ犬や追従犬だけでなく、予備の犬も準備しておくことが課題だという。

「追い払い犬は、対処療法に過ぎません。人間と野生動物が暮らせる山づくりが大切です」と鈴木さんは語る。

取材後、メールが届いた。「こちらはすっかり秋の気配ですが、私は1日としてのんびりできる日がありません」。想像を絶する緊張感が漂う。

蝦夷地より伊那の谷間に移り来し我が目の前を子ザル通りぬ

 鈴木さんの短歌である。北海道犬とともに奔走する毎日。ゆったり歌を詠むのは、しばらく先のようだ。

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2008/10/15

吉田悦子のニッポンの犬探訪記22

甲斐犬    

磐梯山を臨む

ペンションの甲斐犬

蓮&建の四季

東京出身の向後建さんは、山梨で出逢った甲斐犬に魅了され、蓮とともに猪苗代湖近くの自然豊かなペンションへ移住。毎日、ホタル、カブトムシ、マムシ、クマなど、さまざまな生きものと遭遇しながら、野性的でアクティブな蓮との暮らしを満喫している。

長距離トラック運転手を

しながら理想郷を探す

福島の猪苗代湖から車で10分ほどの集落のもっとも奥、高台にある赤い三角屋根のペンション。「ワイルド・バード」は、野鳥の集う雑木林に囲まれ、静かな池に面した4,000㎡の敷地にある、まさに隠れ家的な一軒宿。

ダイニングの前に広がるウッドデッキから、雄大な磐梯山をのぞむことができる。都会の喧騒を忘れ、春、夏、秋、冬と、1年を通してさまざまな野鳥や山野草も楽しめる。

オーナーの向後建さんと看板犬の蓮。蓮は、2歳になる甲斐犬の女のコ。黒毛に赤い首輪がお似合い。つぶらなまなこで、静かに私を見つめている。近づくと、しっぽをフリフリして、喜んで迎えてくれた。

黒いから、知らない人からこわがられちゃうこともありますが、ほんとうは気は優しくて力持ち、とても人なつっこいヤツなんで、よろしく」と向後さん。

向後さんは、東京・渋谷出身。設計を学び、建築設計の仕事に携わった。でも、ほんとうにやりたいのは自然豊かな土地で自分のペンションを持つことと一念発起した。

夢の実現に向け、長距離トラックの運転手をして各地を走りながら、自分の理想郷を探した。その後、軽井沢の温泉ホテルで野鳥のガイドもつとめた。山梨県身延町でバスの運転手をしていたとき、緑と水に恵まれた絶好のロケーションに惚れ込み、現在の地でペンションを開くことを決意。

それまで犬と暮らした経験はなかった向後さん。でも、山梨県の旧国名である甲斐の犬を初めて目にしたとき、「いや~、やっぱり、迫力と品格みたいなものがあって、かっこいいですよね。素晴らしい」と感動した。

ペンションには、ぜひ看板犬をということで、相棒にするなら甲斐犬と、その子犬を探し回った。

「甲斐犬は気性が強いので、初めて飼うのであればメスがよいと、甲斐犬愛護会の人にすすめられて2006年3月に生まれたメス犬を抜擢しました」

ここ福島に来たのは2年前の6月。向後さんの引越しに合わせて引き取られた子犬は、そのまま車で向後さんの実家のある東京へ。翌日、猪苗代湖近くのペンションに連れてこられた。

私は、蓮という名から、はじめは男のコかなと思っていた。名前は、蓮の出身地である山梨県身延山の日蓮宗と、現在の地がホウレンソウの産地であることから名づけたそうだ。

向後さんは、まず、ペンションの入口の前に、蓮の小屋を手づくりして、周りの2畳くらいのスペースを木で囲った。その後、1年かけて部屋のリフォームをするなど、オープンに向けて準備に没頭した。そして、ついに2007年8月、「ワイルド・バード」オープン。蓮も看板犬として披露された。

それから約1年。ようやくペンションの運営も軌道に乗ってきた。ペンションのインターネットサイトとは別に、看板犬日記ブログ「甲斐犬・蓮の恋々だより」もスタート。

毎日、蓮とともに、自然豊かなペンションの周りをお散歩巡回している中で出逢う、さまざまな生きものとの交感が、蓮の目線でつづられている。

「真っ暗な夜道の散歩は、蓮が先導役で、獲物がいないか捜索するように、地面をふがふが、がりがりやっています。ペンションの周りのせせらぎに、ホタルが出没します。ぼおっとした光が神秘的です。ゆ~らゆ~らゆれる光を見ていると、時間を忘れます。

これから夏本番になると、クワガタやカブトムシも登場します。ペンションに泊まった子供たちが、声をあげて喜んでいる様子を見ていると、こちらまでうれしくなります」

蓮との散歩道は、ふかふかの土の上。都会のようにアスファルトではないので、歩きまわるには最高だ。

池に面したテニスコートは、蓮専用のドッグランのようなもの。そこで向後さんと追い駆けっこすることも。

「蓮の走る姿も見ていると、実にかっこいいなあと。親ばかと思いつつ、ほれぼれしながら見とれています」

甲斐犬は、もともと猟犬のため、四肢がよく伸び、あふれる跳躍力と疾走力を感じさせる。野性的でパワフルな甲斐犬に成長した蓮に、向後さんは、すっかり魅了されているようだ。
「敷地の中を野放し散歩するときは、蓮は、僕がうしろから付いて来ているかを振り返って確認しつつ、3、4メートル先を歩きます。朝の散歩のとき、草の陰で何やらお尻を震わせているものに遭遇したんです。マムシです。アオダイショウやシマヘビは、あいさつ程度に足で押さえ込んだりすることもありますが、蓮は、マムシに気付かれないように、見て見ぬふりをして通り過ぎました。僕には、しっぽをピンと立てて教えてくれました」
 とても頼りになる蓮。こんなことも。

「夜中の2時頃、うちのまわりにケモノが来たみたいで、気配を感じた蓮が、1時間くらい吠えまくっていたことがあります。シカかキツネかウサギかタヌキか? 蓮の声に起こされて寝不足になりましたが、番犬の役目もしっかりしてくれています」

 昨年11月には、クマにも遭遇した。

「池に向かう散歩道を歩いていたら、先をゆく蓮が立ち止まったまま動かない。僕には、しっぽをピンと立てて合図してくれました。何かいるなとおそるおそる近づくと、左手の木の陰に黒いツキノワグマの後姿が。蓮は吠えずにじっと見守っていたので、こちらに気づかないまま立ち去りましたが、あのときほど、蓮がいてくれて心強かったことはなかったですね」

東京で生まれ育った向後さん。ホタル、カブトムシ、マムシ、ウサギ、キツネ、シカ、そしてクマと、今まで見たことのない、さまざまな野生動物と遭遇し、いろいろな発見がある。

同時に、野性的でアクティブな蓮に驚かされることが多い。実は、冬のある日、蓮がペンションの中に入ってしまったことがあった。床を叩いて叱ったところ、驚いた蓮は、外へ飛び出したまま戻って来なくなった。手を尽くして探し回った。5日後、ウッドデッキの下から、痩せこけた姿を現した。

「性格がいいので、だれかに連れていかれたりしないかと心配しました……おそらく5日間近くに隠れていたと思いますが、まだ子犬なのに、心身ともにしっかりしているんだなあと妙に感心しましたね。

秋になると、ペンション脇の栗の大樹がたくさん実をつけます。自然のヤマグリだから甘くておいしいのですが、蓮は、落ちている栗のカラを割って、かりかりと上手に中身だけ食べるんです。だれも教えたわけでもないのに、ドングリなどの実も食べたり、池でザリガニを捕まえて食べています。

 冬に、積もった雪の中をラッセルして走り回り、高いところに登ってあたりを見渡しているのを見ると、山の犬なんだなと思いますね。ウサギの骨をくわえてきたことも。蓮には、厳しい自然の中でも生き抜いていけるのでは、と思わせるものがあります」

蓮は、持ち前の気性の良さで看板犬として活躍。でも、犬と会う機会が少ないため、近くの観光施設に蓮を連れて行って、ほかの犬とコミュニケーションをとるようにしている。

「パピヨンだったと思いますが、遠くからキャンキャン鳴きながらこっちに来ようとしていたので、蓮とゆっくり近づいていったら、『大きくて怖いわね』って飼い主さんに小犬がいきなり抱き上げられちゃって。蓮は、うんともすんともいってないのに」

 これほど恵まれた環境だから、蓮のためにも、もう1頭甲斐犬がいてもいいですね、というと、

「そうですね。蓮がとてもいい犬なので、いずれ子犬も生ませたいですね。お相手募集中ってことで。ともかく今は、蓮のためにも、頑張って働かなくては!と思っています」。ペンションと甲斐犬というふたつの夢を手に入れた向後さんは、目を輝かせた。

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2008/09/30

吉田悦子のニッポンの犬探訪記21

文部科学大臣賞の柴犬の孫は おじいちゃん大好き!

詩吟や俳句をたしなむ風流人、鎌田栄一さん、93歳。悠々自適の毎日の相棒は柴犬カク。穏やかな生活を反映して、やさしく、どんな人にもフレンドリー。でも気性のしっかりした若犬だ。

93歳の元気の秘訣 カクはおじいちゃんコ

東京都江東区亀戸の鎌田栄一さん、93歳。詩吟(漢詩を読み下したものに節をつけて吟ずること)や俳句もたしなむ風流人で、悠々自適の毎日を送られている。

風光る一人暮らしの窓辺にも   栄一

93歳の栄一さんの良き相棒が、柴犬のカク。カクは、すぐ近くに暮らしている栄一さんの息子・孝さんの愛犬。

孝さんは、毎朝4時に起床すると、1時間半ほどカクの運動に出る。よく行くのは、近くにある亀戸中央公園。ここは、日立製作所の亀戸工場のあったところを買収し、整備したもの。芝生の広場で、カクの大好きなボール遊びなどをさせている。

芝青む土手は大きな滑り台   栄一

運動のあと、カクは、栄一さんの住まいに移り、日中は、栄一さんといっしょに過ごす。おとなしいカクは、冬は、コタツの中に入って、うとうとしていることが多い。

夕方、孝さんが迎えにいくまで、栄一さんとカクは、まったり過ごしている。カクは、すっかりおじいちゃんコになっている。

孝さんは、栄一さんの跡を継いで、自宅で袋物の製作に携わっている。坐っていることが多いため、自分の運動を兼ねて、朝に続いて、昼は40分、夜9時ごろから30分ほどカクと散歩に出る。

カクの食事は、毎日1回、夕方5時半ごろ。鶏肉やキャベツを煮込んだ手づくりごはんだ。

血統書によると、カクは松錦号という。平成16529日生まれというから、4歳になる。

私たち取材チームに対して、カクは、吠えることもなく、ホントに人なつこく迎えてくれた。表情からして、性格の良さに溢れている。

「カクは、子犬のころからチャカチャカしたところがなくて、とても落ち着いていました。まだ若いのに、若年寄のようでした」と孝さん。

大の犬好きの栄一さんは、若いころから、シェパードやドーベルマンやボクサーなどの大型犬と暮らしていた。

 柴犬を飼うようになったのは、原宿に住んでいた柴犬の第一人者といわれた人から譲り受けたのがきっかけ。

「生後2ヶ月のとき、ダンボールに入れて連れてきました。梅岳号のばいがくという名前から、カクと呼ぶようになりました。

半年後、浅草の隅田公園で行われた日本犬の展覧会へ出したところ、繁殖者の姿を見つけると駆け寄って行きました。すぐわかったんですね。愛情深い犬でした。

初代カクが17歳で亡くなると、また柴犬を飼いました。これもカクといってね、18歳くらいまで長生きしました。散歩のときに、『何ていうんですか?』と聞かれて『カクです』と応えると、『ああ、水戸黄門のカクさんですね』とよくいわれます。親しみやすい名ですからね、うちの犬は、みんなカクという愛称なんです」と栄一さんは笑う。

ツヤの良いお顔は、70代にしか見えない。お元気の秘訣は、きっと愛犬のカクなのでしょうね。

展覧会に出すのはかわいそう うちの犬が一番で十分

 カクの祖父犬は、17102回日本犬保存会の全国展覧会で、文部科学大臣賞に輝いた「達磨の誉錦号」。

カクのお父さんは幸の琴昌号、お母さんは達磨の誉妃号。達磨の誉妃号は、日本犬の女性ハンドラーとして活躍する千葉の弓削田和子さん(犬舎名・姫春荘)の愛犬だ。

カクのおじいさんに当たる達磨の誉錦号は、山口の松村広秋さんの愛犬平成11年7月8日生まれ。父は達磨の西煌号、母は達磨の夕凪号という。

全国展では、紀州犬、四国犬、柴犬のそれぞれの最高賞を受賞した3頭が、内閣総理大臣賞と文部科学大臣賞と文化庁長官賞を競う。

102回全国展では、四国犬翔春号が内閣総理大臣賞柴犬達磨の誉錦号が文部科学大臣賞紀州犬巴号が文化庁長官賞に決まった。

達磨の誉錦号は、「四肢骨格・構成と体調良く、成犬(6歳)らしく堂々としていた。よく発達した頭部、性徴感豊かな顔貌が素朴さを表現していた」と高い評価を受けた。

その後、参考犬として展覧会に出場した達磨の誉錦号を見た人によると、「8歳とは思えない若々しさで、立ち姿の見事さ、歩様の美しさ、軽快さにビックリした。堂々と落ち着いて、まさに柴犬の雄の完成した姿という感じだった」という。

文部科学大臣賞の柴犬を祖父に持つカクは、毛色が濃く、見るからに引き締まって、骨太な感じ。骨太の場合、どことなく重そうに見えてしまうことがある。しかし、カクは、リズミカルな足運びで、軽快に歩く。

展覧会で見かける柴犬は、どこかピリピリした緊張感が漂っている。けれども、カクは、栄一さんとの穏やかな生活を反映してか、表情もやさしく、どんな人に対してもフレンドリー。でも、大喜びしてはしゃぐことはない。クールというか、落ち着いている。

孝さんによると「小犬にはやさしいが、大きな犬が向かってくると、売られたケンカは買うタイプ」。気性のしっかりした男気のあるタイプなのだ。 

孝さんは、柴犬や四国犬など、何頭もの日本犬の世話をしてきた。けれども、展覧会主義ではない。展覧会は勉強の場として、愛犬は、あくまで家庭犬として愛情を注いできた。

「うちは、父親はもちろん、女房も娘もみんな犬好きで、展覧会に出すのはかわいそう、うちの犬が一番かわいい、それで十分だというんです。

審査を受ける間、同じ姿勢でじっとしていなければなりませんからね。優劣を競って順位をつけられるより、元気でいてくれるのが何よりですから」

展覧会には出さないけれど、犬の健康のためには、やはり毎日の運動や食事が大切だと、孝さんは考えている。

毎日、運動の途中で、立ち込みの練習もしている。立ち姿が持続できるかは、犬の気力を養うとともに、骨格構成をチェックするのにも役立つ。

そのためか、カクは立ち込みが上手だ。ちょっとやそっとでは動かない。それでいて、いまにも駆け出しそうな躍動感がある。

柴犬は、きびきびとした若犬のころはもちろん見ごたえがあるが、6歳を過ぎて、どっしりとした存在感と枯れた風貌を備えるようになってくると、また格別の味わいがある。

とくに、雄犬は、一生のうちに姿かたちがどんどん変貌するようだ。若いときに麗しくても、歳を重ねて平凡になってしまうこともある。もちろん、その逆もあり得る。

骨格や筋肉の付き具合や被毛の色や毛吹き、顔貌は、先天的な要素だけではなく、管理の仕方にも大いに影響する。毎日の地道な運動が、美しく健康なからだと適度な筋肉をつくる。
 実際に、からだが締まると、耳などもよい位置に立つようになり、顔貌も良くなるという。
 文部大臣賞犬の血統をひくカクは、ダイヤモンドの原石のように、磨けば磨くほどに光る可能性を秘めている気もする。孝さんも栄一さんも、カクのこれからを楽しみにしている。

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2008/09/15

吉田悦子のニッポンの犬探訪記20

柴犬保存会の柴犬74頭のDNA解析からわかったこと

50年以上前から日本犬の飼育をはじめ、柴保の審査員もつとめる鈴木榮一さん。その愛犬は金章犬に輝き、また「孫犬」は、ルクセンブルクの大使も魅了し、ベルギーで幸せに暮らしている

野性的で、主人には忠実でも、他人には素っ気ない

昭和34(1959)年、日本犬保存会を退いた中城龍雄氏を中心に「柴犬の純化と固定化」を目的として、天然記念物柴犬保存会(柴保)が設立された。

柴保が主催する展覧会は96回を数え、来年には創立50周年を迎える。

昨年、私は、東京・江戸川区で開催された柴保の展覧会を見学した。さわやかな青空のもと、なごやかな雰囲気。関東近県はもちろん、秋田・宮城・長野・愛媛などからも犬が出場していた。

そのとき、参考招待犬の1頭として堂々たるリング態度を披露したのは、足立区の鈴木榮一さんの愛犬「平鈴の紅女」。

平鈴の紅女は、柴保会長の照井光夫さんの秋田の犬舎「おぼない」が作出した犬。父「姫神の黒丸」と母「潟の霜女」の間に、平成10年5月15日に生まれたというから、もうすぐ8歳になる。

参考招待犬というのは、審査員が天然記念物最高柴犬章と認定する「金章」を受章し、とくに作出に功績のあった犬のこと。

年齢を重ねるごとに素朴さと渋みが増して、柴犬としての完成度を高めていく姿は、飼育管理の参考になる。

榮一さんのご自宅には、3頭の柴犬がいる。平鈴の紅女は、優秀の秀から「シュウ」と呼んでいる。そのシュウの子「神無の紅女」は、4頭生まれた子犬の中で最後まで家に残っていたことから「ヨン」、「足立の黒小華」は真夏に生まれたことから「ナツ」という。ヨンとナツは6歳になる。

なかでもヨンは、照井さんによると、私たちの先祖である縄文人とともに暮らしていた「縄文犬」を思わせる顔貌をした最高の犬、だとか。

犬の進化の過程をみる場合、額から鼻先にかけてのラインの形状に注目するとわかりやすい。

額と鼻先のラインの中央のあたりをストップと呼ぶ。縄文犬は、このストップが浅く、キツネ顔だといわれる。一方、弥生犬は、ストップがやや深くなる。現在の柴犬ほどではないが、タヌキ顔に近づいている。

縄文犬は、後頭部の発達した広い額、浅いストップ、深く沈んだ三角の鋭い眼、前傾した力強い耳、ほどよく伸びて絞まった吻、大きく鋭い歯牙、鮮明な裏白、引き締まった体型、きびきびした動作、野生的な警戒心、飼育者との深い絆を持つ、原始的・原種的・野生的な柴犬をいう。

私が、柴犬保存会の犬を初めて目にしたのは、もう15年くらい前になる。日ごろ見ていた柴犬と風貌からして、あまりに違うので驚いた。まず目。柴保の柴犬の目の鋭さといったら、底知れぬ力、神秘さをたたえている。

性質もどこか野性的で、主人に対しては非常に忠実。けれども、他人には素っ気ないほどで、あまり懐かない。賢く勇敢で、警戒心が強い。榮一さんの愛犬のシュウ、ヨン、ナツも、そうした特徴が強いようだ。

ルクセンブルク大使館からベルギーに渡った柴犬

「黒柴のナツは、未熟児で心臓疾患があったため、2年くらいしか生きられないと獣医師からいわれました。それが、いまでは、こんなに元気になりました」と榮一さん。

 昨年、榮一さんが作出した「神無の一女」の子犬の「弥生の紅竜」が、ルクセンブルク大使のもとに送られた。

「赤毛の雄の柴犬がほしい」というのが大使の希望であった。

ちょうど、新潟県出雲崎の大谷さんの愛犬となっていた神無の一女が、「熊市王」との間に、4頭の子犬を出産していた。その黒毛3頭と赤毛1頭の中で、最も元気できかん坊であった弥生の紅竜に白羽の矢が立った。

弥生の紅竜は、東京・千代田区のルクセンブルク大使館へと旅立った。女性の大使とその夫君は、子犬をやさしく抱き上げた。すると、弥生の紅竜は、うとうとと眠り始めたという。
 それから1ヶ月後、大使とそのご家族は、帰国されることになった。弥生の紅竜も13時間を超える飛行機の旅を経て、ルクセンブルク大公国へ無事到着。現在は、ベルギーに転任された大使一家とともに、首都ブリュッセルに暮らしているそうだ。

榮一さんにとって、弥生の紅竜は、孫犬に当たる。アメリカには、すでに何頭も柴保の犬たちが渡っている。でも、欧州にはあまり前例がない。

それだけに、少し不安もあった。けれども、海外で元気に大使と暮らしている様子を知って、榮一さんもうれしそう。どこか誇らしげでもある。

初任給が1万5千円の時秋田犬の子犬は5万円

榮一さんは、50年以上前に中城さんと知り合い、柴保の会員となって、たくさんの柴犬を飼育されてきた。長く審査員もつとめられている。

榮一さんの実家は、一〇〇年続く瓦屋さん。鉄砲を趣味にしていた祖父は、ポインターやセッターなどの猟犬を飼っていた。

榮一さんは、中学生のころ、姉の同級生から虎毛の秋田犬を手に入れた。当時は、大型の秋田犬の全盛時代。なかでも、出羽系の金剛号は国宝犬と呼ばれ、隆盛を極めていた。

榮一さんの子犬は、その金剛号の子でチコと名づけられた。初任給が1万5千円の時代、秋田犬の子犬は5万円もしたという。

 チコ亡きあと、日本犬保存会会員で、墨田区に住んでいた島村さんから、幸緑(ゆきみどり)という柴犬を譲り受けた。

「秋田犬1頭と柴犬3~4頭では、世話をする労力は変わらないというか、柴犬のほうがずっと飼いやすかった」    

以来、柴犬の飼育に打ち込むようになり、中条さんとも知り合った。

私の手もとに、中城さんから榮一さんに送られた1枚の葉書のコピーがある。中城さん直筆の几帳面な文字で、「柴保・東京支部 五月例会案内 期日 昭和三十七年五月二十六日 会場 東京・中野区」とある。

日保全国展の小型柴犬について、スライドと写真をもとにした解説と作出についての研究会のようだ。

こうした地道な努力によって、現在の柴保の犬が、形作られていったのだろう。

DNAの分析によって犬の性格も解明される?

 最初に述べた、柴保展の会場では、岐阜大学応用生物科学部動物遺伝学研究室の伊藤愼一教授や村山美穂準教授らによって、柴犬の口内細胞の採取も行われた。

その遺伝子解析の結果が、展覧会の昼休みに、大学院生の牧拓也さんから報告された。

 今回の研究目的は、「柴犬といわれるなかにも、信州柴(柴保と日保)、山陰柴、美濃柴の3つの種類が存在し、形態や性格の違いは明らかであるが、遺伝的背景の差異については、まだ明らかではないので、この点を明らかにしたい」という。

 その調査方法は、信州柴(柴保)74頭、信州柴(日保)27頭、山陰柴62頭、美濃柴36頭のDNA(マイクロサテライト)の解析を行うというもの。

比較のため、北海道犬、秋田犬、四国犬、薩摩犬、琉球犬、日本スピッツ、ラブラドール・レトリーバーの7犬種、計230種も調べたそうだ。

牧さんから、柴犬とその他の日本犬との遺伝的距離に基づく枝分かれを示した図も配られた。

研究から、柴保と日保の柴犬は、お互いに近縁関係にあるけれども、柴犬保存会由来の柴犬と日本犬保存会由来の柴犬とでは、それぞれ特有の遺伝子構成になっており、明らかに別のまとまったグループを形成していることがわかった。これは、各保存会で独自に、異なる血統が継承されているためと考えられる。

「なかでも、山陰柴は、遺伝的にやや離れた位置にあることから、信州柴(柴保)や信州柴(日保)や美濃柴とは異なる祖先から分化してきた可能性がある」という。

 これと併行して、犬の性格について、DNAの遺伝子型と関連した調査も行っているそうだ。DNAの分析によって、犬の性格も解明されるようになるかもしれない。

そもそも犬は、人類が最初に家畜として飼いはじめた動物と考えられている。縄文時代の遺跡から、埋葬された犬の骨が見つかっている。他の動物が埋葬される事例は、極めて少ない。

縄文時代後期の遺跡には、乳児と子犬が一緒に埋葬されていた。乳児は生後まもなく死亡し、犬と合葬されたらしい。縄文時代は、犬が唯一の家畜で、猟を手伝い、番犬をしていたと考えられる。乳児と合葬されていたことは、犬が大事にされていた証拠であり、縄文時代の人間と犬との深いかかわりをうかがわせる。

縄文人の狩猟の獲物は、シカやイノシシ。これらの動物は、現代のものよりも大きかったようで、弓矢や石斧のような道具しか持たなかった縄文人にとって、犬の果たす役割は、非常に大かったと思う。

現在の柴犬くらいの大きさの「縄文犬」にとって、大型の動物に向かうことは、まさに命がけであったろう。
 別な遺跡から見つかった埋葬された犬の骨の上顎は、前歯や牙が抜け落ち、歯茎がふさがっていた。

おそらく、動物との格闘の結果、歯が抜け落ちてしまい、やがてふさがったことを表している。つまり、縄文人にとって犬は、生活に密着した、かけがえのない大切な財産であったからこそ、傷を負ったあとも保護し、亡くなると丁寧に埋葬したのだろう。

弥生時代になって、新しく弥生犬が渡来するほか、馬や牛などの家畜もみられるようになった。でも、縄文時代までは、家畜は犬だけであった。

日本固有の縄文犬。その起源を探ることによって、日本人の起源も探ることができる。

これから、さらに大きな研究成果が期待される。

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2008/08/30

吉田悦子のニッポンの犬探訪記19

天然記念物指定の日本鶏の

飼育歴30年、秋田犬は3代目

心やすまる湯情の宿の看板犬は

熊にも立ち向かう秋田犬の大

熱心に秋田犬や鶏の飼育を続ける荒井さん。ある朝、荒井さんの鶏舎に熊が侵入、壊滅的な被害を与えた。鶏舎の金網に大穴が開き、鶏の死骸が散乱していた。「やられた!」と思った瞬間、秋田犬の「大」と熊との格闘が始まった。

気品あふれる秋田犬に成長した看板犬の大

岐阜県高山市の奥飛騨温泉郷、新平湯温泉にある「湯情の宿 建治(こんじ)旅館」。

心やすまる家族的なおもてなし、地鶏や飛騨牛をはじめとする新鮮な食材を生かしたお料理と露天風呂で知られる。各界の著名人もお忍びで見えるという。昨年、テレビ東京の「いい旅・夢気分」にも紹介された。
 旅館の専務で、板場を預かる荒井英治さんの愛犬は「大」。荒井さんにとって三代目の秋田犬で、秋田犬保存会の戸籍登録名は大翔号。

平成17年9月6日、岡山県に生まれた大は、12月27日に荒井さんの家族となった。まだ生後約3ヶ月の大は、元気に雪の上を走り回った。

山に放してやると、露に濡れた草むらに分け入り、しばらくすると、ずぶ濡れになって戻ってきた。

夏の奥飛騨は、比較的涼しいので、秋田犬には過ごしやすかった。

あれから2年。大は、若犬らしく爽やかで、気品あふれる秋田犬に成長した。のびのびと育った、しなやかな肢体。すうっと伸びた長い足。穏やかで素直な気性を現す眼は、落ち着いて、力がある。

「とてもおとなしい大は、犬好きの人には尾を振って喜びますが、犬にあまり興味が無い人が近づくと、寝たまま知らんぷりしていることもあるんですよ」と荒井さん。

旅館の入口近くの犬舎で暮らす大は、まさに看板犬だ。高床式の1mほどの奥行きのある大きな犬舎も、大の白い引き綱も、みんな荒井さんのお手製だ。

「自分で作ると、用途に合った長さの引き綱ができるので便利です。

犬舎は、わが家の立地条件に合わせて、楽しみながら作りました。床に敷くスノコも犬舎の幅に合わせて自作です。鉄工所や職人さんに頼む半分以下の、材料費などの原価でできました。

私は、工業高校出身で、家業の旅館に入る前は、土木作業にも携わっていましたから、鉄骨の溶接作業なども得意なのですが、初めての方には難しいかもしれませんね」

もし、大がいなかったら私が熊に襲われていたかも

荒井さんはこれまで3頭の秋田犬を家族に迎えてきた。

初代・秋田犬の太郎号は、平成2年6月4日生まれ、平成15年2月永眠。とても性格の良い犬で、旅館を訪れるお客さんにも人気だった。

二代目・秋田犬の千代の優美号(愛称・ゆみ)は、平成3年6月10日生まれ、平成16年3月永眠。遊んでくれとよく吠える甘えん坊だった。

秋田犬の大と並んで、荒井さんがかわいがっているのは日本鶏。荒井さんは、小学3年生のとき、チャボを飼ったのがきっかけで、鶏の飼育にのめり込み、30年近い飼育歴を誇る。

庭の一角に、これもまたお手製の大きな鶏舎をつくっている。尾長鶏、東天紅鶏、比内鶏、岐阜地鶏、矮鶏、烏骨鶏、赤玉採卵鶏、軍鶏など、さまざまな日本鶏を多数飼育してきた。

「生きものが好きな子供の頃からの延長で、なんだか、そのまま大人になってしまったような気がしますね。

わが家の日本鶏は、全国日本鶏保存会、静岡県天然記念物日本鶏保存会などからいただいた貴重な鶏やその子孫です。国の天然記念物指定の日本鶏は17種いますが、そのうち7種を飼育・保存していました」
 高知県原産の天然記念物に指定されている東天紅鶏は、美しい声で鳴く長鳴鶏のひとつ。30秒間も鳴いたという記録もある。荒井さんの2歳になる東天紅鶏は、全国展で優勝した。
 また、烏骨鶏は、雛の頃から手を掛けて育てれば、とても人なつこく、人を恐がらない。日本鶏の中でも丈夫で、最も飼育しやすい品種だそうだ。

「秋田犬も日本鶏も、生きものを飼うということは、最後まで面倒をみてやる気持ちが大切です。

その気持ちを忘れず、愛情を持って飼育すれば、犬でも鶏でもとても良くなれてくれます。

とくに鶏の場合、自分が育てた鶏が、卵を抱いて孵化した雛は、とても可愛いものですよ」

生きものを愛し、熱心に飼育を続けていた荒井さんに突然の悲劇が襲った。2006年9月、荒井さんの鶏舎に熊が侵入し、壊滅的な被害を与えたのだ。

「今でも、その時の様子は鮮明に覚えています。9月13日の朝、大の散歩も兼ねて鶏舎に行くと、金網に大きな穴が開いていて、鶏の死骸が散乱していました。

熊にやられた! そう思った瞬間、敷地内の草むらに大が走って行ったのです。いきなり、熊と大との格闘が始まりました。

とにかく大が無事でいることだけを祈っていました。もし大がいなかったら、私が危なかったかもしれません」

いつも温厚な大が、熊に立ち向かうとは。きっと大は、大好きな荒井さんを守ろうと必死だったのだろう。

「飼い主を守ろうとしたのか、野生的な本能で熊に向かって行ったのか、わかりませんが、大が無事に戻ってきて何よりでした。

相手が、大よりふたまわりも大きな熊だったにもかかわらず、無傷で帰って来られたのは、奇跡的だと思います。熊の爪や牙にやられなくて、ほんとうによかった」

荒井さんは、ほっとした。同時に、これからは、山の中はもちろん、たとえ自分の家の敷地内であっても、大の引き綱は付けたままにしなければいけない、と思った。

新平湯一帯に蛍が乱舞する光景を取り戻したい

それ以来、天然記念物の日本鶏の保護を考慮して、鶏舎の近くに熊の捕獲檻を設置してもらった。

しかし、二度とこのような悲惨なことが起きないように、という荒井さんの願いは裏切られた。10月31日、午後2時半頃、再び鶏舎が熊に襲われたのだ。

荒井さんが、そっと近づくと、熊の親子は鶏舎の中にいた。すぐに猟友会と警察に通報した。

まもなく猟友会の人が銃を持って駆けつけた。警察官も駆けつけた。しかし、役場から有害駆除の許可が下りないため、熊に気づかれないよう、遠くから見ているしかなかった。
 目の前で、大切な鶏が被害にあっているのに、禁猟区域で、民家の近くということで、有害駆除の申請に時間がかかったようだ。

しばらくすると、役場からOKの連絡が入った。猟師によって、大きな雌熊と子熊が駆除された。

鶏舎は、見るも無残だった。前回、奇跡的に残っていた尾長鶏も全滅してしまった。残ったのは烏骨鶏と赤玉鶏と矮鶏のみになってしまった。
 鶏舎に使用していた金網は、専門店に特別注文したステンレス製の丈夫なものだった。

キツネやテンやタヌキには効果があったが、熊の強大な力には、かなわなかったようだ。

 さらに驚かされたことがある。今後の研究材料のため、猟友会の人が熊の胃袋の中を調べたところ、鶏の餌ではなく、鶏の肉が出てきたのだ。

熊は本来、雑食だ。木の実などを主食にしている。鶏の餌が出てくるとばかり思っていただけに、荒井さんはショックを受けた。
「イタチやキツネには、さんざんな目に遭った経験があるので、ある程度の対策はしていたつもりだったのですが、熊による鶏の被害は想定していませんでした」
 大切にしていた貴重な鶏が犠牲になり、さぞかし口惜しく、がっかりしたことだろう。

「ほんとうにショックで、悲しくなりました。丹精込めた尾長鶏も全滅してしまいました。残念でなりません」

その年は、熊の里山への出現が全国的に大きな問題となった。ここ奥飛騨でも、あちこちで熊の目撃情報が相次いだ。

結局、その年の秋、荒井さんの鶏舎は3回も熊に襲われ、計3頭の熊を駆除することになった。3回とも熊が違っていたという事実に、荒井さんは大きなショックを受けた。
「熊の置かれている現状を考えると、生きるために、もともとは馴染まない味であるはずの鶏まで糧として求めることは、哀れさも感ぜずにはいられません。でも、だからといってそのまま放置にしておくわけにはいられませんでした。

東天紅鶏もあきらめていたのですが、かろうじて1羽の雌が生き残っていてくれたので、わずかながら光が見えました。

なんとか気持ちを切り替えて、また1からスタートするつもりです。何年かかるかわかりませんが、立派な鶏をつくるため、頑張りたいと思います」

奥飛騨の寒さは厳しい。冬はまだ始まったばかりだ。

どんなに雪が降っても、大は犬舎の隅に静かに丸まって眠る。寒さに負けず、元気いっぱいだ。

犬舎に毛布を差し入れたこともあるが、毛布をからだの下に敷くことはなかったそうだ。

早朝、大を連れて山道へ入ると、ニホンカモシカの足跡やニホンリスの姿も見つけることができる。

温厚で優しい性格の大は、熊に立ち向かっていったことでもわかるように、芯が強く勇気がある。

でも、まだ2歳と若い大は、いきなり野生の熊と格闘したショックから完全に立ち直っていないようで、「少し神経質になっている気がする」と荒井さんは少し心配している。

トラウマにならないよう、気長にあたたかく見守りたいと、荒井さんは思っている。

ここ新平湯温泉には、「平家蛍」が生息している。源氏蛍よりもひとまわり小さく、放つ光も源氏蛍ほど明るくはない。

しかし、平家蛍特有の点いては消える、緑がかった蛍火の美しさは忘れられない、と荒井さんは語る。
「私が子供の頃は、夏になると部屋まで蛍が入ってきたんですよ。

外へ出ると田んぼや小川では、蛍が乱舞する光景があたりまえのように眺められました。でも、15年くらい前から、めっきり蛍の姿が減ってしまいました。

そこで、もう一度昔のように、新平湯一帯に蛍が乱舞する光景を蘇らそうと、実は私は、蛍の飼育をしているんです」

わずか数匹からスタートした平家蛍の繁殖計画は、年ごとに確実に、その数を増やしている。

この奥飛騨のあたり一面に、蛍が点る日も夢ではないかもしれない。とても楽しみだ。

 荒井さんが運転する車で、旅館をあとにするとき、私たちの背後で、初めて大が一声鳴いた。まるで、別れを告げているような、そんな気がした。

旅館から車で10分ほどの「平湯の森」では、なんと犬専用の露天風呂があると荒井さんからうかがった。

もちろん、掛け流しの温泉で、しかも無料。たまに、大も利用させてもらっているそうだ。

また、2月になると、旅館から徒歩数分のところにある氷った滝をライトアップするイベントも開催される。

奥飛騨の新平湯温泉まで足を伸ばした際は、ぜひ、建治旅館の大に会いに行かれてはいかがだろうか? 

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2008/08/15

吉田悦子のニッポンの犬探訪記18

柴犬の親子とともに父子二代で鳥猟に打ち込む

一、犬。二、足。三、鉄砲

山に入ったら柴犬が主役です

「五感を使って捜索する柴犬は、スリリングな猟が楽しめる」というベテラン・ハンター、嘉山弘さん。国体の射撃選手でもある息子さんと3頭の柴犬とともに、キジやヤマドリ猟をするのが趣味だ。今年も狩猟解禁に向け、準備に余念がない。ハンター人口が減少する中、父子二代で、柴犬と猟に打ち込む嘉山さんは、頼もしい存在だ。

よき狩猟犬はいっしょに

眠るよき家庭犬でもある

嘉山弘さんの家には、「あたかの黒女」こと「なな」、「ゴロー丸」こと「ごろう」、「山王」こと「山ちゃん」という3頭の柴犬がいる。

嘉山さんの趣味は、狩猟。神奈川県横須賀の漁師町出身の嘉山さんは、もともと「飛んでいるものを落とす」ことに関心があった。18歳で狩猟免許を取得し(現在は20歳以上)、ライフル銃による射撃もはじめた。

月給2万円のときに、3万円もするジャーマン・ショートヘア・ポインターの鳥猟犬も手に入れた。

柴犬保存会の柴犬は猟に向いているということで、秋田からななとごろうを送ってもらいました」と嘉山さん。

いまでは、国体に出場した射撃の選手でもある息子さんと3頭とともに、キジ・ヤマドリ猟をするのが楽しみ。

今年も11月15日の狩猟解禁に向け、準備に余念がない。解禁と同時に、休暇をとって、30年以上つきあいのある東北の友人のもとへ行き、狩猟に没頭する予定だ。

いまもっとも、嘉山さんが期待を寄せているのが、山ちゃん。

「いつも行く三浦半島や丹沢の猟場より、鳥が多いですから、とてもいきいき捜索してくれることでしょう」

母なな、父ごろうの間に生まれた4頭の子犬の1頭が山ちゃんだ。平成16年6月12日生まれだから、3歳になる。山ちゃんの3頭の兄弟は、嘉山さんのハンター仲間のもとへ行き、それぞれ山で活躍している。

 眼光鋭く敏感な山ちゃんは、生後5ヵ月から、ななやごろうといっしょに山に入り、少しずつヤマドリを捜すようになった。

「ごろうは、山に放すとすぐ走って遠くに行ってしまうけれど、ななは、ヤマドリ猟がよくできました。

母犬がいいと、その子どもも素質を受け継ぐことが多いですが、山ちゃんも1回目から、やる気まんまんで、ヤマドリを追い立てました」

 ダッシュ力もスタミナもある山ちゃんは、猟へ行く前になると、興奮のあまり食事をとらなくなる。

「山ちゃんが狩りこんだヤマドリを撃って捕えたら、寄ってきた山ちゃんが、ヤマドリの頭をがぶりと噛んで、頭蓋骨をばりばり食おうとしたこともある」というから、すごい闘志だ。

 なな、ごろう、山ちゃんの親子が猟犬として活躍する猟期は、1年の4分の1。それ以外は、嘉山家の愛犬としてかわいがられている。3頭は、よき狩猟犬であるとともに、よき家庭犬でもあるのだ。

ふだんは家の中で、天気のよい日中は庭に放されて過ごす。夜は、ごろうと山ちゃんは嘉山さんと息子さんといっしょに、ななは嘉山夫人とお嬢さんと寝る。犬も人間も男組と女組に分かれて寝るというのが、なんだか面白い。

縄文時代、人間と犬は、竪穴住居で寝起きをともにしていたようだ。お互い寄り添って眠ることで仲間意識や絆も強くなり、犬は山では野生動物に果敢に向かっていったのだろう。

ところで、鳥猟の対象となるキジは、国鳥として有名だ。孔雀を小さくしたような鳥といえば、なんとなくイメージできるだろう。家の近くの畑で「ケーン、ケーン」と声がするのは、オスがメスを呼んでいるのだそうだ。

でも、ヤマドリを間近で見た人はほとんどいないのでは? 

私は、岩手の山道を車で走っているとき、道端に降り立っていたヤマドリを目にしたことがある。
 キジは、平坦でやや開けた草原、叢林、河原などを好む。人家近くの田畑にも出没し、農作物を失敬することもあるらしい。

一方、ヤマドリは、里山から奥まったうっそうとした山中や林を好み、走るのが速いそうだ。

ヤマドリは、一見茶色くて地味。しかし、よく見ると、とても尻尾が長く、実に美しい姿をしている。 

キジもヤマドリも、ほとんど同じ大ささだが、オスは羽毛の色や尾の長さが違うので、一見して別種とわかる。ところが、キジとヤマドリのメスはよく似ているので、どちらが、キジかヤマドリか判別するのは難しい。

キジもヤマドリも、オスは縄張りを持つ。猟はまず、彼らのテリトリーを探すことからはじまる。ヤマドリ猟は、高低差のあるところを行き来することになり、かなり体力を消耗する。

鳥猟の中でも、ヤマドリが一番難しいと聞いたことがある。それだけに、ヤマドリを撃ちとったときの喜びは大きいのだろう。

ハンターが減るなか柴犬と父子二代で猟に打ち込む

私は、猪猟には何度も同行したことがある。猪猟は、相手が大きいだけに勇壮なイメージがある。猟犬も紀州犬などの中型犬が多い。それに対し、柴犬と行動する鳥猟は、また別な趣があるのだろうなあ。

「柴犬は、洋犬と違って、とてもスリリングな猟が楽しめます。山ちゃんが、視覚・聴覚・嗅覚などの五感をすべて使って、懸命に捜索する姿を見ているのも楽しいものです。

鳥がいると判断すると、一直線に向かっていく様子、きりきり舞いしながら、ものすごい羽音とともに飛び出してくる獲物に向かって発砲し、落下する獲物を手にしたとき、柴犬と猟をしてよかった、と楽しさが倍増します」

昔から「一、犬。二、足。三、鉄砲」といわれる。たしか明治時代に、柴犬を連れた農民が、棒に数十羽のキジやヤマドリを並べて下げている写真を見たことがある。

まさに、人と犬が組んだ鳥猟の様子がうかがわれる。捕えた鳥の多さに私は驚いたが、それだけたくさんのキジやヤマドリが、当時の里山にはいたのだろう。

嘉山さんは、休日は射撃場に通っている。射撃は、ヤマドリ猟のための練習でもある。鉄砲がうまければ、猟でもよい結果が得られるからだ。

「とくに山岳地帯で狩猟をするとき、柴犬の素晴らしさがよくわかります。あのとき、私の銃が故障さえしなければ、もっと倍の数の獲物を捕れたはずだ、ということもあります」

狩猟をするためには、まず、都道府県知事が行う狩猟免許試験に合格し、狩猟免許を取得することが必要だ。

狩猟免許は、猟具として網を使用できる網猟免許、わなを使用できるわな猟免許、散弾銃・ライフル銃・空気銃を使用できる第一種銃猟免許、空気銃を使用できる第二種銃猟免許の4種類に分かれる。

ただし、狩猟免許を持っているだけでは、実際に狩猟をすることはできない。毎年、狩猟者登録の申請をする必要がある。

銃を使用するためには、狩猟免許とは別に、警察から猟銃などの所持許可を受けなければならない。さらに、銃を使用するため、銃刀法に基づく銃の所持許可も必要。

ところで、かんじんのヤマドリは、どんな味なのだろう? 

キジなどは、ジビエ(捕獲された野生の鳥獣)料理を出す店でも食べることができるが、ヤマドリ(加工品を含む)は販売が禁止されているため、一般に口にすることはできない。

食べたければ、自分で獲る以外にない。このことが、ハンターをヤマドリ猟に駆り立てる原動力のひとつになっているのかもしれない。

北海道のエゾシカ猟は、すでに10月に解禁されている。ハンター仲間から嘉山さんのもとへ、さっそく、エゾシカの肉塊が送られてきた。

取材でお邪魔した私たちに、嘉山さんは自ら包丁を握り、肉を切ってフライパンで焼いてくださった。

さて、初めて口にする、エゾシカ・ステーキのお味は? 

私たちが、ふだん食べ慣れている豚肉や牛肉に比べ、あっさりしてクセがない、という感じ。野生動物のせいか、余分な脂肪もなく、とても上品な風味。塩・胡椒で味つけしただけだが、臭みもない。

栄養的にも高たんぱく、鉄や銅などのミネラルが豊富で、脂質が少ないのでコレステロールも低いそうだ。 

「どお? 美味しければ、また吉田さんの自宅にも送ってあげるよ。

ハンター仲間から届いたイノシシやエゾシカの肉は、まわりの人に切り分けて配ったり、そのほか焼いたり煮たりして、柴犬保存会の展覧会の昼食にみんなにふるまって喜んでもらっています。

カモはやはり、ネギと鍋にするのがいちばん美味しいね」

せっかくの肉も、仕止めたあと、血抜きや解体といった処理を適切に行わないと、美味しくいただけない。とくに、モツ、レバー、心臓などは、ハンターしか食べられないほど貴重なもの。嘉山さんから、モツ煮込みもいただいたが、とても美味しかった。

そういえば、猪肉は「ぼたん」、馬肉は「さくら」、そして鹿肉は「もみじ」という。

猪肉は煮込むと、ちぢれてぼたんの花のようになる、または、大皿に並べられた肉が、ぼたんのように鮮やかであることから、イノシシの肉を「ぼたん」と呼ぶのだとか。

また、馬肉はその鮮やかなピンク色から「サクラ」。シカ猟は、山の紅葉が色づくころにはじまるため、「もみじ」。そういえば、花札でシカの背景は紅葉だ。

ところで、ここでまた疑問。日本のハンター人口ってどのくらいなのだろう? 

北海道には、1978年に、約2万人の狩猟者登録をしたハンターがいた。しかし、2003年には8000人と半分以下になっている。

全国のハンター人口も、99年が23万人と、ピーク時の53万人から半減。さらに、ハンターの70%が50歳を超え、高齢化も問題となっている。

ハンターの世界では、50歳代はまだ若手で、60~70歳代が中堅だとか。エゾシカが増える一方、ハンター人口は、新たに登録する若手が少ないため、老齢化して減っている。

そのような中で、20代の息子さんとともに父子二代で、愛犬の親子とともに狩猟に打ち込む嘉山さんは頼もしい存在といえよう。

「柴犬がいるからこそ、狩猟も楽しめる。山に入ったら犬が主役です。また山ちゃんにキジを噛ませてやる機会を与えたい。山ちゃんはまだ若いので経験不足ですが、鳥猟犬として完成する日をめざし、頑張ります」

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2008/07/30

吉田悦子のニッポンの犬探訪記17

やさしくて頼りになる紀州犬・龍と鉄

あるときは番犬または猪追い犬

その実態は愛すべきへタレ犬

兄弟のように仲のよい龍と鉄。愛情をたくさん受けて、穏やかに過ごす2頭は、実は大変な甘えん坊。紀州犬のオスが、こんなにデレデレしてて、いいんかい、と突込みたくなるほど。しかし、猟犬としての能力は実証済み。ヘタレだけど、スゴイんです。

弟分・鉄の面倒を見る龍 龍を兄貴と慕う鉄

 手賀沼は、都心から約30kmの千葉県北西部にある湖沼で、面積は約650ha。鳥や魚など、自然豊かな手賀沼の湖畔に、旧家のたたずまいを残すお宅がある。

大きな門をくぐると、開け放たれた広い玄関に、ゆったりたたずむ2頭の白い犬。龍と鉄、11歳と9歳になるオスの紀州犬だ。

農家である大塚さんの家では、龍と鉄が呼び鈴がわりになっている。2頭のおかげで、農作業で留守をするときも、戸締りの心配をしたことがないとか。

たしかに、2頭がそこにいるだけで、吠えなくても迫力がある。一べつされただけで、知らない人はびびって退散するだろう。

見知らぬ人は一歩も中には入れないガードドッグとして、とても頼りになる龍と鉄は、「従順で忍耐強い、わが家自慢の息子たち」。二郎さんは、とてもかわいがっている。夜は、室内でいっしょに寝ているそうだ。

龍も鉄もがっしりとした体格に豊かな白毛で、11歳と9歳という年齢を感じさせない。とても若々しく、貴公子然としている。

「問題は、ちょっと太っていること。糖尿病をわずらっているお父さんといっしょに運動に力を入れて、食事の管理もしています」(幸子さん)。

農家に生まれ、ウシと育ったという二郎さんは昔、鳥猟をしていたことがあるそうだ。動物好きで、自宅の庭で、ギンギツネを飼っていたことも。現在は、チャボやウコッケイなど多数のニワトリ、また池でニシキゴイも飼育している。

二郎さんと幸子さん夫妻が、初めて飼った紀州犬が龍だった。日本犬一の猟犬といわれる、市川の近藤克之さんの愛犬・ブンの子だ。

1頭だけではさみしいだろうということで、やはり近藤ファミリーの猟犬として活躍するシロの子・鉄をもらい受けた。

一般に、紀州犬のオス1頭を育てること自体、犬の飼育になれた人でないと難しいといわれている。しかも、オス2頭を飼うとなるとなおさらだ。

紀州犬のオスは、もともと対抗意識がかなり強い。多頭飼いのいずれかがケンカ好きの場合、常にケンカを売ったり売られたりして、ときに取っ組み合いになって血を見ることもある。そのため、「シロウト」が紀州犬のオスを多頭飼いするのは、90%無理だとされている。

 ところが、龍と鉄は、こうした中型日本犬の「常識」をくつがえした。2頭はいつも玄関先におとなしく並んで座っている。運動もいっしょに行く。

「手賀沼には、白鳥が飛来するのですが、鉄がまだ小さい頃、大きな白鳥にバカにされて威嚇されたとき、龍が前に出てかばったことがあります」と幸子さんがいうように、兄弟のように仲がよい。

龍は鉄を弟分としてよく面倒を見て、鉄は龍を兄貴と慕っている。結果的に、2頭は相性がよかったのだろう。

2頭の親もとにあたる近藤さんによると、たしかに相性は重要で、たとえ親子であっても、オス同士は、成犬になって力が拮抗してくると、ライバルとして対立することが多いそうだ。

とくに、多頭飼いの場合、主人に褒めてもらいたい一心で、どうしても1頭1頭の自己主張が激しくなる。そのため、相性が悪いと、ことあるごとに衝突していがみ合ってしまう。

龍と鉄の父犬のブンとシロは、どちらも猟犬のリーダーをつとめるが、攻撃型のブンと、スピードで追い詰めるタイプのシロとは、猟のやり方も異なるため、お互いの立場を認め合って、対立することはないそうだ。

「おとなしい、おっとりタイプの龍と鉄は、お互いの短所と長所をカバーしていたわり合い、ほんとうの兄弟のように暮らしている。

これは、犬本来の性格もありますが、やはり愛情たっぷりで、ストレスのたまらない、おおらかな環境で育てたご夫妻の飼い方がよかったからでしょう。犬の良い面をどれだけ引き出せるかは、飼い主の育て方が80%影響しています」と近藤さんは指摘する。

 幸子さんが、おやつのジャーキーを差し出すと、龍と鉄は並んでお座り。この様子を見た近藤さんは、「うちだったら、食べ物を前にして、オス同士たいへんな騒ぎになる」と、2頭のお行儀のよさにびっくり。

女性でも気楽に飼えてらくに引くことができる

 リビングでご夫妻とくつろぐ龍と鉄は、幸子さんの膝に頭をのせて、ゆったり。体を撫でると喜んで、おなかを見せながら、もっともっとと甘えて催促する。

幸子さんが、鉄の下腹部を指して、「チンチン、立派リッパ」と褒めると、とてもうれしそう。まさに、愛すべきへタレ犬、といった感じだ。

龍と鉄は、ご夫妻にとても従順で、かなりの甘えん坊。紀州犬のオスが、こんなにデレデレしてて、いいんかい、と突込みたくなるほど。

私も、龍と鉄に口もとをペロペロ舐められた。玄関に陣取っていたときの相手を威圧するような態度とは打って変わって、日本犬とは思えないくらい熱烈なディープ・キス。

いったん挨拶を交わして心を許すと、こちらが拍子抜けするくらいリラックスした穏やかな表情になる。なんて紀州犬って、かわいいんだろう。

もし、こんな姿を日本犬の展覧会の審査員が目にしたら、なんというだろう。目を剥いて「甘~~い!」といわれそう。

でも、とても幸せそうな龍と鉄を見ていると、こちらまでうれしくなる。そして、紀州犬がここまで心を許してくれることに、ちょっぴり感動する。

なぜなら、オスの紀州犬というと、展覧会のリングの中で、お互いにガンを飛ばし合い、背中の毛を逆立てて、唸りながらいきり立つ、いかにも喧嘩早そうな姿に、常々違和感を抱いていたから。

紀州犬の姿かたちは、たしかに立派になったけれど、家庭犬としては、どうかなあ。あの調子では怖くて、とてもじゃないけど街中を引いて歩けないなあ、と感じていたのは私だけではないだろう。

よくいわれる中型日本犬の登録数の減少は、ピリピリして神経質で、何をしでかすかわからない暴走しやすいキャラクターが、社会への適応力に欠けて飼いにくいイメージにつながっているためではないだろうか?

「よく審査員が、古武士的な切れ味の鋭い犬がいいというけれど、今の人には何のことかわからないし、第一、そんな犬が現代社会に受け入れられるのか」(近藤さん)

 展覧会を追いかけている飼い主は、ペット飼いとは一線を画し、ペット飼いしている飼い主とその愛犬をバカにする傾向が強い、という。

同時に、展覧会用に育てられる犬には、余分な愛情をかけることはないし、呼び名すらない場合も多い。なぜなら、名前を呼んでかわいがる必要などないからだ。

展覧会オンリーの飼い主は、「(血統書の名前以外の)名をつける必要があるの?」ということらしい。その結果次第では、「犬を出す」つまり「使い捨て」にすることも。紀州犬が、よき家庭犬としては育てられてこなかった悲しい背景を見ることができる。

一般に、紀州犬イコール獰猛というイメージがあるためか、動物病院や美容室などでは、紀州犬お断りというところが少なくない。

でも、龍と鉄は、病院でもおとなしいと有名で、かえって珍しがられて、診察台にのっていると、病院関係者が見学に来るそうだ。

「龍も鉄も、ご近所でもなかなか評判がいいんですよ」と幸子さん。龍と鉄を引いて、幸子さんが散歩していると、近所の子供から「猛獣づかい」といわれたこともあるとか。

紀州犬のオス2頭を引いて歩くのは、男性でも難しいといわれている。幸子さんは、引き綱を引っ張らないようにしつけたため、龍も鉄もちゃんと歩調を合わせてくれる。  

それにしても、なにしろ強大なパワーを秘めた紀州犬のオスであるから、ここまで育てるには、いろいろ生傷も絶えなかったようだ。

2頭がじゃれ合っているとき、一方の犬歯が、もう一方の犬の頭蓋骨に食い込んだこともある。

動物病院で手術後、引き取りに行ったとき、何かの拍子に2頭がケンカになってしまい、龍が50針(!)縫う大ケガをして、再入院することになったとか。なにしろ噛む力がスゴイので、いったん事が起こると、大変なことになってしまう。

名猟犬の血統をひいている龍と鉄は、猟能大会でも果敢にイノシシに向かっていく。近くの山にイノシシが逃げ込んだとき、龍と鉄が追い込んで、地元の猟師が仕留めたこともある。

「猟師に、ダンナは、素晴らしい犬を持っていると褒められて、うれしかった。今朝も、散歩の途中、キジを追い立てたんですよ」と二郎さん。たんなるヘタレ犬ではない、環境さえ整えば、やるときはやるのだ。

ご夫妻のお話をうかがっていると、紀州犬といえども、ちょっとした気遣いさえあれば、だれでも気楽に飼えて、女性でもらくに犬を引くことができることがわかる。

「よく犬飼いのベテランは、ふつうの犬みたいな飼い方をすると、紀州犬らしさがなくなってしまうというけれど、へタレ犬、大いに結構。長い間培われた紀州犬の魂、根性といったものは、たやすくなくなったりしませんよ。

紀州犬は、たんに強さを誇ったり、ケンカ早い犬ではない。家族のためには命がけで頑張る、とても主人想いの犬なんです。

人間が犬の良し悪しを見る以上に、犬は人間のことを実によく見ている。自分にどれだけ愛情や期待をこめてくれているかに敏感です。そうした犬の気持ちに飼い主もどれだけ応えることができるか、それが大切です」と近藤さん。

 猟犬でも、日頃から愛情をかけられている犬は強い、という。いざというとき、主人のために思いもかけない強さを発揮するからだという。

紀州犬の魅力は、やさしさ。そう近藤さんは言い切る。たしかに紀州犬は、勇猛果敢で、圧倒的な体力とスピード、歯牙の強さを持っている。けれども、それはいざというときのためのもの。

ふだんは、飼い主に忠実でやさしい、甘えん坊の犬なんだなあ。龍と鉄に出会って、紀州犬の魅力を再発見した。

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