犬の幸せって?
連載コラム「いのちのダイヤリー」更新されました
http://www.ncpet.jp/modules/column/index.php?id=11
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京都より「和の学校通信」夏号をいただきました
大島清先生のご紹介で
リレーエッセイ第5回に執筆させていただいたご縁です
題して
「犬・蕎麦・俳句」を通して「和」を叫ぶ
(なんじゃこりゃ~~ という感じですが)
「和の学校」は 日本の風土から生まれた
伝統的な文化・暮らしを京都から見直そう
と発足したNPO法人です
くわしくはコチラをご覧ください
http://www.wanogakkou.com/index2.html#
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それは、8月の月曜日、朝9時過ぎの電話だった。
いつものようにパソコンに向かっていた私は、2コール目で受話器を耳に当てた。
「はい、○○です」と名乗ると、「○○先生ですか?」。いきなり、自分の名前に「先生」を被せられて返された。
聞き覚えのあるような、ないような、ごく普通の中年男性の声。
「はぁ」と少し曖昧に応えると、相手は、「H警察署の者ですが…」と横浜市内の警察署を名乗った。
「OYさん、ご存知ですか?」
フルネームで告げられた男性名。
どこか遠い場所から運ばれて来たように唐突だった
が、私は、即座に「はい」と応えていた。
「実は、一人暮らしのアパートで、亡くなっているのが発見されまして。かなり、日にちが経っていました」
部屋に遺されていた古い手帳や手紙から、私のことを知ったという。
「ずっと一人暮らしだったようですが、このままでは、無縁仏になってしまいますので、身寄りの方がいないか、教えていただきたいのですが……」
Oさんは、神奈川県下の公営住宅に家族と暮らしていた。大学卒業後、出版社に入社し、専門雑誌の編集長を務め、定年前に退社。その頃、一人家を出て、知人の紹介で、当時、私が在籍していた編集部の仕事に就いたようだ。
「元の勤務先に問い合わせなさると、ご家族のことも分かるのではないでしょうか?」
私は出版社の名を告げた。
編集部は、担当分野ごとにいくつかのチームに分かれていた。私が所属するチームの数名で、Oさんの歓迎会を開いたことがある。白髪交じりの長い髪で、一見、知的で寡黙なOさんは、お酒が入るにつれ、饒舌になった。
私が「お父さん」と呼んでいたベテラン編集者のWさんに向かって、突然、「おまえは!」などと声を張り上
げ、周りを驚かせた。苦労人タイプのWさんは、笑って受け流していたが、私は、何か鬱屈としたものがある気がした。
翌日、Oさんは、長身の頭上に白い帽子のようなネットを被って会社に現われた。「酔っ払って転んで、たんこぶを作りました」と恥かしそうに言った。
Wさんと、私が姉のように慕っていた先輩編集者のTさんとともに昼食に誘うと、Oさんは、「ほっほっほっ」とうれしそうに笑った。笑うと、前歯が欠けているせいか、ひどく間の抜けた感じがした。
Oさんの専門であるクラシック音楽の話題で盛り上がった。Oさんは、リラックスしたのか、自ら自分のことを語り始めた。それによると、家を出た原因は、国立女子大学卒の才媛で、現在は大手進学塾の役員を務めている妻との性格の不一致にある、という。2人の子が社会人になったこともあり、思いきって紙袋一つで飛び出してきた、のだそうだ。年金が出るまで、退職金で食いつなごうと考えていたようだ。
毎日、カプセルホテルから会社に通い、一張羅の背広とズボンを着たままと聞いて、驚いたTさんと私は、駅前にできたばかりの紳士服の量販店へOさんを連れて行き、背広とズボンをあつらえた。
その後、Oさんは、横浜から数駅の相鉄線沿線にある木造アパートに暮らすようになった。日頃お世話になっている御礼にと、私たち3人を「新居」に招いてくれたこともある。数時間かけてじっくり煮込んだという特製ミートソースをご馳走になった。
「何の気兼ねもいらない、今の生活が一番しあわせ」と欠けた前歯を見せて、「ほっほっほっ」と笑った。私たちの前に姿を現した時の、痩せて血色の悪い様子は消え去り、頬もふっくらして、見違えるようにこざっぱりしていた。
今、担当している仕事が一段落したら、好きな音楽を聴きながら、音楽の原稿を書いて、音楽三昧の暮らしをしたいという。「ほんと、お気楽なおじさんだなぁ」と、私とTさんとWさんは、思わず顔を見合わせた。
Oさんからは、お勧めのクラシックのCDをたくさんいただいた。私が、俳句と親しんでいると知って、種田山頭火の句集をプレゼントしてくれたこともあった。どこか、山頭火の「コロリ往生」の生き方に惹かれていたようだ。
あれからもう何年になるだろう。いつの間にか、ここ数年、音信が途絶えていた。
「ご病気だったのでしょうか?」と訊くと、「それは、検死をしてみないとわかりません。いや、どうも、大変失礼いたしました」と相手が礼を述べ、電話が切れた。
それにしても、なぜ、警察の人は、私のことをいきなり「○○先生」などと呼んだのだろう? 気になっていたのに、訊きそびれてしまった。Oさんの古い手帳の中に、それらしい記述があったのだろうか?
今となっては、確かめようもない。
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