吉田悦子のニッポンの犬探訪記22
甲斐犬
磐梯山を臨む ペンションの甲斐犬
蓮&建の四季
東京出身の向後建さんは、山梨で出逢った甲斐犬に魅了され、蓮とともに猪苗代湖近くの自然豊かなペンションへ移住。毎日、ホタル、カブトムシ、マムシ、クマなど、さまざまな生きものと遭遇しながら、野性的でアクティブな蓮との暮らしを満喫している。
長距離トラック運転手を しながら理想郷を探す
福島の猪苗代湖から車で10分ほどの集落のもっとも奥、高台にある赤い三角屋根のペンション。「ワイルド・バード」は、野鳥の集う雑木林に囲まれ、静かな池に面した4,000㎡の敷地にある、まさに隠れ家的な一軒宿。
ダイニングの前に広がるウッドデッキから、雄大な磐梯山をのぞむことができる。都会の喧騒を忘れ、春、夏、秋、冬と、1年を通してさまざまな野鳥や山野草も楽しめる。
オーナーの向後建さんと看板犬の蓮。蓮は、2歳になる甲斐犬の女のコ。黒毛に赤い首輪がお似合い。つぶらなまなこで、静かに私を見つめている。近づくと、しっぽをフリフリして、喜んで迎えてくれた。
「黒いから、知らない人からこわがられちゃうこともありますが、ほんとうは気は優しくて力持ち、とても人なつっこいヤツなんで、よろしく」と向後さん。
向後さんは、東京・渋谷出身。設計を学び、建築設計の仕事に携わった。でも、ほんとうにやりたいのは自然豊かな土地で自分のペンションを持つことと一念発起した。
夢の実現に向け、長距離トラックの運転手をして各地を走りながら、自分の理想郷を探した。その後、軽井沢の温泉ホテルで野鳥のガイドもつとめた。山梨県身延町でバスの運転手をしていたとき、緑と水に恵まれた絶好のロケーションに惚れ込み、現在の地でペンションを開くことを決意。
それまで犬と暮らした経験はなかった向後さん。でも、山梨県の旧国名である甲斐の犬を初めて目にしたとき、「いや~、やっぱり、迫力と品格みたいなものがあって、かっこいいですよね。素晴らしい」と感動した。
ペンションには、ぜひ看板犬をということで、相棒にするなら甲斐犬と、その子犬を探し回った。
「甲斐犬は気性が強いので、初めて飼うのであればメスがよいと、甲斐犬愛護会の人にすすめられて2006年3月に生まれたメス犬を抜擢しました」
ここ福島に来たのは2年前の6月。向後さんの引越しに合わせて引き取られた子犬は、そのまま車で向後さんの実家のある東京へ。翌日、猪苗代湖近くのペンションに連れてこられた。
私は、蓮という名から、はじめは男のコかなと思っていた。名前は、蓮の出身地である山梨県身延山の日蓮宗と、現在の地がホウレンソウの産地であることから名づけたそうだ。
向後さんは、まず、ペンションの入口の前に、蓮の小屋を手づくりして、周りの2畳くらいのスペースを木で囲った。その後、1年かけて部屋のリフォームをするなど、オープンに向けて準備に没頭した。そして、ついに2007年8月、「ワイルド・バード」オープン。蓮も看板犬として披露された。
それから約1年。ようやくペンションの運営も軌道に乗ってきた。ペンションのインターネットサイトとは別に、看板犬日記ブログ「甲斐犬・蓮の恋々だより」もスタート。
毎日、蓮とともに、自然豊かなペンションの周りをお散歩巡回している中で出逢う、さまざまな生きものとの交感が、蓮の目線でつづられている。
「真っ暗な夜道の散歩は、蓮が先導役で、獲物がいないか捜索するように、地面をふがふが、がりがりやっています。ペンションの周りのせせらぎに、ホタルが出没します。ぼおっとした光が神秘的です。ゆ~らゆ~らゆれる光を見ていると、時間を忘れます。
これから夏本番になると、クワガタやカブトムシも登場します。ペンションに泊まった子供たちが、声をあげて喜んでいる様子を見ていると、こちらまでうれしくなります」
蓮との散歩道は、ふかふかの土の上。都会のようにアスファルトではないので、歩きまわるには最高だ。
池に面したテニスコートは、蓮専用のドッグランのようなもの。そこで向後さんと追い駆けっこすることも。
「蓮の走る姿も見ていると、実にかっこいいなあと。親ばかと思いつつ、ほれぼれしながら見とれています」
甲斐犬は、もともと猟犬のため、四肢がよく伸び、あふれる跳躍力と疾走力を感じさせる。野性的でパワフルな甲斐犬に成長した蓮に、向後さんは、すっかり魅了されているようだ。
「敷地の中を野放し散歩するときは、蓮は、僕がうしろから付いて来ているかを振り返って確認しつつ、3、4メートル先を歩きます。朝の散歩のとき、草の陰で何やらお尻を震わせているものに遭遇したんです。マムシです。アオダイショウやシマヘビは、あいさつ程度に足で押さえ込んだりすることもありますが、蓮は、マムシに気付かれないように、見て見ぬふりをして通り過ぎました。僕には、しっぽをピンと立てて教えてくれました」
とても頼りになる蓮。こんなことも。
「夜中の2時頃、うちのまわりにケモノが来たみたいで、気配を感じた蓮が、1時間くらい吠えまくっていたことがあります。シカかキツネかウサギかタヌキか? 蓮の声に起こされて寝不足になりましたが、番犬の役目もしっかりしてくれています」
昨年11月には、クマにも遭遇した。
「池に向かう散歩道を歩いていたら、先をゆく蓮が立ち止まったまま動かない。僕には、しっぽをピンと立てて合図してくれました。何かいるなとおそるおそる近づくと、左手の木の陰に黒いツキノワグマの後姿が。蓮は吠えずにじっと見守っていたので、こちらに気づかないまま立ち去りましたが、あのときほど、蓮がいてくれて心強かったことはなかったですね」
東京で生まれ育った向後さん。ホタル、カブトムシ、マムシ、ウサギ、キツネ、シカ、そしてクマと、今まで見たことのない、さまざまな野生動物と遭遇し、いろいろな発見がある。
同時に、野性的でアクティブな蓮に驚かされることが多い。実は、冬のある日、蓮がペンションの中に入ってしまったことがあった。床を叩いて叱ったところ、驚いた蓮は、外へ飛び出したまま戻って来なくなった。手を尽くして探し回った。5日後、ウッドデッキの下から、痩せこけた姿を現した。
「性格がいいので、だれかに連れていかれたりしないかと心配しました……おそらく5日間近くに隠れていたと思いますが、まだ子犬なのに、心身ともにしっかりしているんだなあと妙に感心しましたね。
秋になると、ペンション脇の栗の大樹がたくさん実をつけます。自然のヤマグリだから甘くておいしいのですが、蓮は、落ちている栗のカラを割って、かりかりと上手に中身だけ食べるんです。だれも教えたわけでもないのに、ドングリなどの実も食べたり、池でザリガニを捕まえて食べています。
冬に、積もった雪の中をラッセルして走り回り、高いところに登ってあたりを見渡しているのを見ると、山の犬なんだなと思いますね。ウサギの骨をくわえてきたことも。蓮には、厳しい自然の中でも生き抜いていけるのでは、と思わせるものがあります」
蓮は、持ち前の気性の良さで看板犬として活躍。でも、犬と会う機会が少ないため、近くの観光施設に蓮を連れて行って、ほかの犬とコミュニケーションをとるようにしている。
「パピヨンだったと思いますが、遠くからキャンキャン鳴きながらこっちに来ようとしていたので、蓮とゆっくり近づいていったら、『大きくて怖いわね』って飼い主さんに小犬がいきなり抱き上げられちゃって。蓮は、うんともすんともいってないのに」
これほど恵まれた環境だから、蓮のためにも、もう1頭甲斐犬がいてもいいですね、というと、
「そうですね。蓮がとてもいい犬なので、いずれ子犬も生ませたいですね。お相手募集中ってことで。ともかく今は、蓮のためにも、頑張って働かなくては!と思っています」。ペンションと甲斐犬というふたつの夢を手に入れた向後さんは、目を輝かせた。
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