真・ハチ公物語 14
三重苦を乗り越えたヘレン・ケラーが愛した秋田犬。盲目の天才アーティストとわれるスティービー・ワンダーもまた、こよなく秋田犬を愛していた。ヘレンがそうだったように、彼も秋田犬特有の「精神的なもの」に魅了されたようだ。愛犬が老衰で息をひきとったとき、「また犬を飼うなら必ず秋田犬」と心に決めていた。素朴さの中に、鋭い感受性を秘めているといわれる秋田犬に、洋犬にはない、スピリチュアルな結びつきを感じたのだろうか。
盲目のアーティスト スティービー・
ワンダーが「心眼」で愛した秋田犬
日本とは別のタイプとしてアメリカで定着
昭和12年、三重苦で知られるヘレン・ケラーが来日したとき、秋田犬をアメリカへ連れて帰った。この「神風」という秋田犬が、アメリカはもちろん、海外での日本犬第1号となった。
以来、アメリカで秋田犬の人気が高まった。第二次大戦後、日本を占領していたアメリカ進駐軍の兵士が本国に帰る際、秋田犬をお土産に連れていくのが「恒例」となったほど、だとか。ここまでは、前回お話した。
秋田犬は、闘犬が盛んだった明治時代以降、大型化するため、他の犬種との交雑がすすめられた。アメリカに渡ったは、その交雑タイプだった。
そのため、アメリカの秋田犬は、口吻が太めで黒マスクもある。被毛が厚く、全体的にどっしり。日本の秋田犬とは、異なるタイプとして定着した。
一方、国内では、戦後、秋田犬を復活のため、秋田犬本来の特徴を取り戻す努力が続けられた。
アメリカの血統書登録団体(AKC)では、両者があまりに違うため、アメリカ産のアメリカン・アキタとそれ以外のジャパニーズ・アキタを分けることになった。今やアメリカなどの海外種の秋田犬が全体の9割を占めているともいわれる。
秋田犬とのスピリチュアルな結びつき
ヘレン・ケラーは、「秋田犬ほど、主人の気持ちを分かる犬はいない」と語ったそうだ。
最初の秋田犬が、ジステンパーで急逝したあとも、再び秋田犬の子犬を日本から手に入れて育てている。ハチ公がきっかけで、一気に秋田犬にのめりこんだらしい。
見えない、話せない、聞こえない、一般的には閉ざされた世界にいたからこそ、数多い犬の中でも、とくに日本犬に、何か本質的なものを感じとったのだろうか?
秋田犬は、素朴さと渋さの中に、鋭い感受性を秘めているといわれる。ヘレンは、秋田犬にスピリチュアルな結びつきを強く感じたのかもしれない。そのように私は考える。
ヘレンのように秋田犬に、他の犬種では得られない底知れぬやすらぎを感じた人として、世界的アーティストのスティービー・ワンダーが挙げられるだろう。
スティービーは、私が、秋田犬の取材を始めた15年くらい前から、すでに秋田犬愛好家として知る人知る存在であった。
日本縦断コンサートの合間を縫って、スティービーは、大阪の秋田犬専門のブリーダーのもとを訪ね、2頭の子犬を連れて帰ったという話もあるほど。よほど秋田犬が好きなのだろう。
スティービーは、1995年、阪神大震災直後の来日公演で、「スティービー基金」を開設。 99年の第50回紅白歌合戦では、出場歌手全員の合唱曲 「ソング・フォー・チルドレン」を提供。
さらに2005年、10年ぶりのアルバム「タイム・トゥ・ラヴ」が20年ぶりのトップ10入りヒットとなった。このときの来日会見で、スティービーは、「日本は第2の故郷。輪廻転生というものがあるなら、僕の前世は、日本人だったと思う」と語っている。
このように、かなりの親日家であるスティービーは、幼犬のころからかわいがっていた秋田犬がいた。その愛犬が老衰で息をひきとったとき、「また犬を飼うなら必ず秋田犬」と心に決めていたそうだ。
1頭目の秋田犬が亡くなったとき、すぐ次も秋田犬と思ったというのは、ヘレン・ケラーと共通している。
スティービーも、ヘレンとまったく同様に、秋田犬が心のよりどころだったのだろう。
生後まもなく視覚を交通事故で味覚も失う
アメリカの歌手であるスティービーは、1950年5月3日生まれというから56歳。
シンセサイザーやピアノなどキーボード一般と、ドラム、ハーモニカなどもこなすマルチプレイヤーとしても有名。キャリアは、もう40年以上、すでに大御所の風格がある。
未熟児として生まれたスティービーは、生後まもなく視力を失った。幼い頃からラジオから流れてくる音楽に耳を傾け、鍋やフライパンやテーブルをスプーンで叩いてリズム感を培っていたそうだ。
7歳の頃、ハーモニカにとりつかれ、その天才的なメロディーで、たちまち評判に。やがて黒人音楽を専門に扱うレコード会社にスカウトされ、11歳でデビュー。
13歳で発表したシングルがミリオンセラーとなり、一躍天才少年として知られるようになった。
ビッグ・スターとなっていた73年、いとこの運転する車に同乗していたスティービーは、交通事故で瀕死の重傷を負う。
奇跡的に生還したが、後遺症により嗅覚と味覚を失ってしまう。しかし、リハビリが功を奏し、ほぼ回復したという。
こうした体験を通して、彼は、さまざまな困難に苦しむ人々のために自分ができることを模索し始める。
慈善事業や平和活動に参加する一方、音楽を通して世界に自分の思いを訴えた。
なぜ、海外に秋田犬ファンが多いのか?
生まれてまもなく盲目という運命を背負ったスティービー。その彼が、秋田犬をこよなく愛しているということ。それは、意外に知られていないようだ。
2000年には、秋田県に住む秋田犬のブリーダーのもとに、「スティービー・ワンダーが秋田犬を探している」という相談が持ちこまれた、という。
前に述べたように、秋田犬は、今日ではどちらかといえば、日本よりもアメリカでとても人気がある。
しかし、「アメリカにいるのは、真の秋田犬ではない。ほんものの秋田犬は、日本にしかいない」とスティービーは、古来の秋田犬に強くこだわっていたようだ。
そこで、「日本で素晴らしい秋田犬を探してきてほしい」と弟に頼んだ。弟が秋田から連れて帰った子犬は、たくましく成長し、スティービーに愛されている、という。
生後まもなく視覚を、そればかりか、事故のため一時、臭覚や味覚まで失ったというスティービー。
その彼は、なぜ、アメリカの秋田犬と日本の秋田犬の違いを感じたのだろうか?
というより、視覚に頼らないスティービーだからこそ、真の秋田犬に、より敏感だったのかもしれない。心眼というのだろうか?
そのあたりも、ヘレン・ケラーに通じるものを感じる。
ヘレンは、68年に亡くなるまで、40年間にわたって福祉の分野で活躍した。その偉大な業績を称える「ヘレン・ケラー賞」は、新しい生き方を築き上げた視覚障害者および視覚障害者の生活の質の向上に貢献した人々の業績を称えることを目的に設立された。これまでの受賞者には、スティービーもいる。
たしかに「一度、秋田犬を飼ったら、もう別の種類の犬は飼えない」という声を耳にすることはある。
しかし、なぜ、スティービーやヘレンは、秋田犬でなくてはならなかったのだろう?
それと不思議なのは、秋田犬は、海外の熱狂的ともいえるファンが少なくないことだ。
これほどまでに、秋田犬が、愛されるのは、なぜか? ハチ公に代表されるような忠犬さからだろうか?
例えば、2006年秋、約10年ぶりのアルバム「タイムレス」の来日記念盤が発売されたブラジルの作曲家セルジオ・メンデス。
彼は、蕎麦などの和食を好み、相撲観戦を楽しみにする。映画は黒澤明、文学は川端康成と三島由紀夫がお気に入り。
ロサンゼルスの自宅には、刀剣類が飾られ、かつては庭の池でコイが泳ぎ、日本車にも乗っていたという。日本の歌手に曲も提供している。
スティービーと同じように、「僕の前世は日本人じゃないかな。何もかもが好きだよ」と語る彼の愛犬は、フジという白毛の秋田犬。14年間ともに暮らし、とても可愛がっていたという。
日本びいきの海外ミュージシャンは少なくない。が、ここまでくると「筋金入り」といえよう。
日本犬と洋犬の形態上の差異はもちろんあるが、ヘレンやスティービーがそうだったように、セルジオもまた秋田犬特有の「精神的なもの」に魅了されたようだ。
洋犬にはない、秋田犬の素晴らしさ。それはきっと、ともに暮らした人にしかわからないものなのだろうなあ。
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